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エピローグ

コマドリの船室を出てデッキに足を踏み入れれば、真っ青な空が視界いっぱいに広がり、夏の空気が辺りを包んでいた。
三か月前にこの大地を劫火が襲った事など、まるで夢であったかの様に澄んだ空は、現実味の無い青を頭上に広げている。破損が酷く、一時は足を踏み入れることさえできなかったデッキも、あらかた修理が終わり、真新しい甲板に夏の光を反射していた。今は休憩時間か、正午を少し過ぎた時間帯のデッキは人気がなく、ほんのひと時感傷に耽る時間の邪魔をする者はいない。
胸に吸い込んだ外気は、緑と土の香りがし、それを体中に循環させるようにシンは深く呼吸する。視線の先に見えるのは、酷く抉れた赤茶けた大地。三か月前までは、そこには巨大な教会本部「ヴァーラス・キャルーヴ」が、周囲を取り囲む巨大ビル群と共に聳え立つ光景が見られた。だが一夜のうちに、それらは全て失われてしまった。
忘れられし時代に、人々が作り上げた巨大宇宙港の残骸。高く聳え立ち、ガラスの塔と呼ばれていたあの姿は、今はもう跡形もない。
シンとサラが生まれた時から十数年間幽閉されて過ごした研究所は、あの日消えてしまった。愛着のある場所であったわけではない。だが「帰る場所」の選択肢を一つ失った事は確かで、その事に対して、何の感傷も浮かばない訳ではなかった。

多くの者が死んだ。

教会との戦闘で死んだ者、ニナの復活が引き金になり起きた地殻変動に巻き込まれた者。『マナ』とフレイが呼んだ、高密度のエネルギーに飲み込まれ自我を無くした者。
――そして、その被害を最小限に押しとどめようとし、その姿を消した者。
(カイン)

あの日以来、何度となく呼んだ名を脳裏に浮かべる。
コマドリがニナの力に吸い寄せられ、船もろとも解体しようかというその時、あのエメラルド色をした光がドーム状に塔を包み込んだ。教会のリガに襲われた際、砲弾をよける壁となったあの光が、今度は被害をとどめる為の『覆い』となった。そのおかげで、間一髪のところでコマドリは爆発に飲み込まれる事なく、その空域から脱出することができたのだ。だが、押しとどめられた力は、その内側を膨れ上がる力で満たし、――塔もろとも跡形なく吹き飛んだ。
ニナと呼ばれる過去のディーヴァが目覚める切っ掛けを作った男、ナイツ総長エミール=ヴィルヘルム。そして彼の飼っていたキメラ。そして、過去のディーヴァ『Nina』と、今代ディーヴァの『Kain』。
あの力場の内側にいた彼らの生存は、絶望視されている。

(……戻ると)
戻るとは、彼は言わなかった。
「脱出する」と彼は言った。時間を稼いだら、脱出すると。

(嘘つきめ)
あんな方法を取る時点で、力場の中心にいる自身が脱出する事などできる筈もない。
もとより、逃げる気などなかったのだ。

「――嘘つきめ」

シンはもう何度となく呟いた罵りの言葉を再度呟き、言いようのない苛立ちを打ち消す様に頭を振った。
何も残っていない赤茶けた大地を見遣る。点々と太陽光を反射し銀色に光るのは、教会が派遣した調査隊が乗ったリガの機体か。それともコマドリ隊員の出したエンケだろうか。もしかしたら双方のものかもしれない。
この三か月、双方に打撃を受けた教会とコマドリは、小さな小競り合いはあるが、休戦状態と言っていい状態にある。コマドリは教会に幽閉されていた仲間を助け出し、自分たちの力の象徴である沙羅姫も無事救う事ができた。一方、教会は総長であるエミールを失い、隊内の統制を取ることに注力している。双方に、今争う理由は無い。
キイ、と背後のドアが開く音がし、振り返る。腕に抱えた何かを持ち直しながら姿を現したのは、最近ようやく元気な姿を見せだしたリズの姿だった。
艦長補佐となったフレイの助けもあり、負担になっていた心の重荷が減ったせいか、最近には、同じく精神的なショックから回復しつつあるキャサリンと共に、以前のようにデッキで本を読む姿が見られるようになった。だが、今手に持っているのは、本ではない様だ。
「リズ、それは」
「ん、ああ……カイン君の遺品。ブレンの街に行ったでしょ。カイン君が使ってたガレージ、取り壊されちゃうらしいからさ。一緒に全て壊されてしまうよりは、せめてお墓に入れてあげられる物は持ってこようと思って。とりあえず持ってきたから、整理を、ね」
「……そう、か」

リズがデッキに置かれたテーブルに、それらを置く。
紅い作業服姿のカインが、スラム街の歳も人種もバラバラなメンバーと笑いながら肩を組んでいる写真。クレアと呼ばれていた小さな少女の横顔を切り取った写真。使い古された手袋や、製図ペン。趣味で作っていたのか、手巻き式のアンティークな時計たち。
どれもが丁寧に額縁に入れられていたり、きれいに磨かれていたりしていて、カインという少年の内面がうかがえる。
一つ一つを大切に大切に。そうやって彼は細やかで、柔らかく優しい時を過ごしていた。写真に映る顔はどれもが笑顔だ。カインを取り囲んで楽しそうに笑っている。
あの日、自分が彼と出会わなければ。
あの日、自分が塔を脱出するなどしなければ、カインは今も変わらずこの笑顔の中にいたのではないか。
ぽつりと、手元のノートに小さなシミができた。それはぽたぽたと瞬く間に幾つものシミを作る。瞳から溢れた涙はどうにも止まらなくて、シンは声を殺してそれが止まるのを待つ。
リズは何も言わず、テーブルの上に広げたノートや写真を纏めなおす。

不意に、その手元で何かがチカリと光った気がして、シンはその光へ手を伸ばした。カインの意外と几帳面な文字が散りばめられた製図用紙の合間に光る、銀の輝き。

「……っ」

その輝きを拾い上げ、シンは思わず息を飲んだ。
――――そんな、まさか。

それは、青い小さな石のはめ込まれた銀の指輪。少しくすんだ銀のチェーンに通されたそれは、シンの手元で静かに揺れる。
シンの手元のそれに目をやったリズは「ああ」と声を漏らす。

「その指輪、ガレージの製図デスクの上に置いてあったの。かなり古いものみたいだけど、綺麗に磨かれているし、カイン君の大事なものだったんじゃないかなって」
「――る……がない」
手元で揺れるその存在を何度見直しても、それはシンの記憶にあるカインのネックレスと同じだった。
「え? 」

「あそこに、これがある訳がない」

そう、ある訳はないのだ。
カインはずっと、このネックレスを首にかけていた。
コマドリで他愛のない話をしていた時も、図書室でぼんやり窓の外を眺めていた時も。
自分を逃がし、必ず戻るといったシンに、苦笑して首を振ったあの時も。
ずっと、彼はこれを「首にかけていた」。

「生きてる」
「え、シン君? 」
手にしたチェーンの留め金を外し、シンは自身の首にそれを掛ける。

きっと、生きている。

「生きてる、きっと」
胸元で揺れる指輪を握りしめ、シンは晴れ渡る空を見上げた。
この幼い想いは、塔の崩壊と共に終わったものだと思っていた。だが違う。
まだ諦めない。諦めなくていい。
必ず見つける。そして自分を認めさせるのだ。

そう誓って、シンは笑った。

 

 

 

heaven’s edge. 第二部に続く
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