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何もできなかった

柔らかなオレンジの光。広大な世界。ほのかに光を取り戻しだした月明かり。
太陽が力を失い、少しずつ月が力を取り戻していく。
だけど私達は月。
他人の力を借りてしか光れない。
私達は月。
闇夜の中でしか存在を主張できないみじめな月。
……本当かしら。
ひんやりといつもと変わらぬ温度を伝えてくるガラスに手を付き、赤みを増していく世界をサラは見据えた。彼女の瞳は分厚い包帯で厚く厚く覆われていたが、彼女には判った。解けるように山脈の輪郭が闇夜に沈み、僅かな月の光にその肌に降り積もった雪が白く光る。稜線に沿って光る輪郭。立ち上る光の粒。遠くへ流れる川は、夕日の残り火に照らされて紅く紅く。
……本当かしら?
「違うわ」
違う。私たちはただの月じゃないはずよ。ねえ、――――そうでしょう?

――シン!

 

「来た…………!」
突如少女は口もとに笑みを浮かべ、自身の瞳に巻かれた包帯を毟り取る。長い漆黒のまつげに縁取られた瞳が見開かれ、不遜な光を帯びた。その色は赤と紫。鮮やかなその色彩は月光にちかりときらめく。
流れるような動作で着物の帯を留める腰紐を一本抜き取り、長い黒髪を手早く結い上げる。さらさらとつやめく黒髪はそれでも床につくほど長く、サラは自身の背中を一瞥すると、突然手近にあった空のグラスを床へたたきつけた。鋭い音を立てて砕けた中から大きめの破片を拾い上げると、躊躇なくばさりと腰の辺りでその髪を切り払った。つややかな髪が磨かれた床へ零れ落ちる。
(これくらいでいいかしら)
これでも邪魔な位だけど。
そうつぶやきつつ、重い着物を脱ぎ捨てると、古き文献にあるくのいちの着るような身軽な衣装がその下から現れる。武技の授業で着た訓練着。数年前のものだが、幸いまだ問題なく着れるようだ。
(シンはもうあの頃の服は着れないのだろうけど)
そんなことを考えながらも、手を休めることなくサラはブーツを履きこむと、飾り気ばかり多く実用性のないサイドテーブルの上から、扇子を掴み取り走り出した。
部屋の中央へと音もなく駆け寄ると、ふっと息をつき手を床へと突き出す。
途端、目に見えぬ重力に磨かれた床は音もなく陥没し、続いてがらがらと穴をあけて崩れ落ちた。ぽっかりと開いた穴の先には下の無機質な通路が見える。研究区域の通路だ。
「……ふふっ」
なんて容易い事でしょう。ほんの少し、大人しい姫を演じていただけですのに。
口元に手をあてて、少女は楽しそうに微笑んだ。
そう、私達は月じゃない。
私たちは月ではないの。私たちはただ光を待ち望むだけの、そんなか弱い存在ではない。
ひらりと穴のふちから飛び降り、ひんやりとした空気の中奥へ続く無機質な通路を挑戦的な瞳で見据える。

今なら何でも出来るような気がした。

 

ドアを開けると冷たい風が頬を打った。指先で肌にまとわりつく髪を避けながら、そっと瞳を細める。
空気が揺れた気がした。
視線の先に広がるのは、紅く紅く爛れたように紅い空。
眼下に広がるのは、黒く潜む広大な森と、その先の何も無い焦土。
甲板に歩み出て少しさびた手すりを握ると、ちくりとした痛みが手のひらに走った。広げてみた手のひらには、ざらりとした紅いさび。劣化しかけた鉄の破片が刺さったらしいが、血は滲んでいない。代わりにつんと鼻につく鉄のにおいが冷たい風に浚われていった。
ぼんやりとその紅く染まった手をどうしようかと考え、カインはまた手すりを握る。
船はゆっくりとした速度で旋回している。その為甲板に出て空を眺めているだけでそのうち四方が見渡せ、こういう時間もいいかもしれないとカインは思った。
思いながら、不意にこみ上げた怒りにも似た衝動に手すりを握り締める。
(何も出来なかった)
今カインが乗っているのはコマドリではない。二日前の大脱出でコマドリと共に離陸した十六基のドームのうちのひとつ。
村の中心であったメインドームだ。
『碧い土の中から出土した。外見も太古の記録にある生物と似ててな、だからその名をとって『鯨』と名づけた』
いい船だろう。
そう昨夜停泊した谷底でこの船を見上げつぶやいたジェフの声は、普段と変わらないようで、だけど確実に何かが違った。
『皆でな、掘り当てた時は一日中祭りだった。焚き火炊いて、一晩騒いで。かなり改修はしちまったがまだいけそうだった中央の庭だけは残しといた。昼には日が差し込み、夜に上を見上げれば星空が見える。空に浮く小さな庭だ。コマドリも、コレを真似てつくったんだ』
いい船だ。
土のついた手を払ってジェフはそうつぶやいた。そのままじっと船を見上げる。背後で小さく炊いた焚き火に集まった人々の影が、ゆらゆらと船の腹にかかって黒く揺らめいた。
『――いい船だね』
そう答えるとジェフはこちらを向いて、その四角い顔をわずかに緩ませた。そこまでが限度。
カインも小さく笑い返そうとして、頬が強張った。ごまかすようにうつむき、汚れた指先を見る。一度失ったはずのちぎれた腕は、傷だらけの指先と共に何事も無かったかのようにそこにあった。
何事も無かったように。
――だけど、……この手で埋めてきた。
深く日の射さない谷底。葬列は無言で、ゆっくり、ゆっくりと重い袋を抱え岩の合間を降りていく。
コマドリは定住しない。墓も作らない。
『これより死亡者の埋葬へ行きます。われわれには時間が無いわ。明朝には戦闘員はコマドリで塔へ向かいます。今夜中に、――すべて跡形も無いように』
そう全艦放送で注げたリズの声は酷くこわばり、しわがれていた。
コマドリの民は、皆形はさまざまだが教会によって引き出された特殊能力の保因者が大半。死体でさえ、見つかれば利用されるのだろう。死してなお、その体は暴かれサンプルの一部となる。だから、――すべて跡形も残さぬように。
背後の乗員たちの声はほとんど無い。無言で焚き火を囲むと自身の目の前で揺らめく火を見つめて、「何か」を壊さぬように慎重に息をつく。「何か」があふれ出さぬように、声を殺して黙り込んでいる。
その気配を背中で感じながら、同じように息を潜めてただカインは鯨をみあげた。
『弟みたいなものなの』
そうシンの事をいったリズの微笑みは、そのままコマドリの精神に通じる。血などつながっていなくとも、苦しみと迫害の記憶と、目指す先が同じならば彼らは心から歓迎し受け入れるのだ。そんな彼らが『今なお苦しむ同胞の為に』と進み、抱えた良識だとか、分別だとか、仲間を思う心とか――その種の尊ぶべき理性を自分が動くことで消してしまわない為に息を潜める。
そう一瞬考えて、あまりの情けなさにカインは頬を強張らせた。それはただの汚い自己弁護だ。誰かの為に、誰かの為に。そんなのは何も出来なかった自分を守るだけの薄汚い自己弁護だった。
……自分は何もできなかった。
ノルトも、奥さんも、もうすぐ生まれてくるはずの命も、何も救えなかった……!
本当は、自分が失いたくなかっただけなのだ。
『お前はこっちだ』
そういって頭をなでてくれたジェフの手のひらの温かさだとか、夢にうなされた自分を安心させるように微笑んでくれたリズの兄と、奥さんの優しい微笑みを。
仲間だとか、家族だとか、そういった短い間でしかなくても自分の中の空洞を確かに埋めてくれていた暖かな場所を――――失いたくないだけなのだ。
(でも、もう遅い……)
守れなかった。
守る力を自分は持っていたはずなのに。
間に合わなかった。
あんなに、予感していたというのに。
(何の意味があるんだ……)
こんな力を持っていながら、周りの期待を裏切って、ただのうのうと存在するこの命に。
何の意味が。
震える喉を周りに悟られない様に抑えた。自分が泣くなんてことは、絶対に、絶対にしてはいけない事だと思った。
自分は、彼らの仲間も、優しくしてくれた暖かな人々も――――救うことが出来なかった。

別動隊が、墜落したドーム付近を捜索してきた。
――ノルト達の遺体が出た。

見つからなかった方が、良かったかもしれなかった。

甲板への重いハッチを開け、でてきたクルーの姿が見えた。
「カイン?!」
「ちょっとでてくる!朝には、もどるから」
それだけ告げてエンケで船から飛び降りる。
エンジンをかけず暫く落ちてみる。眼下に広がる黒い森と藍の空との境界線が僅かに赤く光っている。
暫くすれば世界は闇に飲まれるだろう。
この汚れた存在をほんの数時間でも覆い隠してくれる。

その事実に少し、安心する。

 

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