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楽園の崖

 

 

 

カインはただひたすらこみ上げる震えに、そして熱くなる頬に戸惑い、シンの髪に顔をうずめた。
ドクン…… 鼓動が跳ねて暴れる。また涙腺が緩みそうになり、慌てて顔を上げ熱くなった顔を空気にさらした。
闇の中を下る。二人が下っているのは、遥か地下までの吹き抜けの様だった。静かに滑らかに、闇の中をシンは下っていく。時折黒い柱の影の先や窓枠の先で炎が巻き上がるのが見える。周辺の古代ビルが崩れ落ちる音も殆ど遮断され、冷えた空気にそれらはまるで遠くのことの様に思えた。
街の小さな映画館の、一番後ろの席に映画が始まる直前に駆け込む。ガラガラの席を見渡しながら、買ってきたコーラを一口口に含んで。息が漸く落ち着いてきた頃に、ぽっと漆黒のスクリーンに映し出された炎の赤。
ぼんやりと店のドアにクローズの札をかけたっけ、だとか少し不安になり、足を組んで気持ちを切り替える。久しぶりの休日で、そして久しぶりに上映される好きな映画なのだ。集中しないと時間がもったいない。
小さなスクリーンの上では、炎の中を少年が少女を抱えてはしる。少女は得体の知れない影に追われていて、少年は彼女を助けようと必死になっている。紅い紅い空の下、黒い地面を踏みしめて少年は走る。だけどそのうち崖に追い詰められて少年は背後を振り返る。紅い空を埋め尽くす黒い鳥の影。鋭いくちばし。
夢なのだと。
そう少年は気づいている。
今ここで目を覚ませば、こんな悪夢からは開放されるのだと少年は分かっている。だけど、彼の抱えている少女にとってはこの夢の世界が全てで、彼が目を覚ませば彼女は一人夢の世界に残されてしまうのだという事も、彼はわかっている。
目を覚ましさえすれば助かる。でも少年はそれを選ばず、少女と醒めない夢の中に居る事を選ぶ。
崖を踏み切って更なる深みへ。
醒める事のない夢の世界へ。
――なんとなく、似ている気がした。この、映画のような非現実的な世界は、目を覚ませば消えるのかもしれない。ただ何かを間違えて入り込んでしまっただけで、何かきっかけを見つければ夢から覚めるのかも知れない。アラストールを取り返して、どこか静かな場所に隠れれば、いつか自分の存在も世界が忘れてくれるんだろう。悪夢は消えて、きっと穏やかな日々がまた来るのだ。
それとも、……あの少年はシンなのだろうか。
ずっとシンは、カインをシン自身の問題に巻き込んだのだと後悔していた。だが、実際はそうではない事に、カインは途中から気づいていた。
そう、『自分が』シンを巻き込んだのだ。シンが生まれるよりもずっと、ずっと昔の因果で。自分さえ居なければ……、シンは自分なんかに関わりさえしなければ、ナイツの兵士達に追われること無く、ただ高貴な存在で居られた。ただ姉を救い出して、お姫様のような少女と穏やかな日々を過ごすことも出来たのだ。……いや、自分さえいなければシンは審判者である必要すらなかった筈だ。少し都会の、図書館で静かに本を読む学生。そんなところがお似合いだったに違いない。
なのに、今この男は自分みたいな厄介な存在を抱えて、夢の中を下っている。さらに深くへ、もっと深くへ。
(醒めなくなってしまう)
引き返すのなら今なのだ。今自分を置いて、早く姉のところまで戻るべきなのだ。
「……動くな。傷に触る」
「……」
早く彼から離れなければと身じろげば、強い力で抑えられシンの首元に顔が埋まった。
何とも言えない想いに涙腺がまた緩む。胸が熱くなる。
あの少女は困っただろう。すぐにでも助かるはずの少年が、助かろうとしてくれないのだから。そして嬉しかっただろう。心細い黒い夢の中で、共に居てくれる存在が居たのだから。
「カイン」
「……ん」
「ディーヴァとは、何なんだ」
「…………お前やリズやジェフのおっさんみたいに、特殊な力を持っている奴らをヘレシーって呼ぶだろ?それと同じだ。ただ、その力がより野生に近い」
「野生……」
「台風来るのを動物が察知できるのと同じで、ディーヴァには星の状態を察知する能力がある。そういった、大気や地脈の乱れに敏感な種と言ってもいいかもしれない」
痛みに途切れがちになる呼吸を、ゆっくりと整えながら話す。
「ディーヴァは人間の突然変異体だ。滅多に現れない上に、星のエネルギーを取り込み使う事が出来るから、過去にはかなり敬われたり恐れられたりした」
「星の、力? 」
「お前たちだってそうだ。多かれ少なかれ、ヘレシーは皆使ってる」
「……それは、『マナ』の事か」
「そう呼ばれた頃もあった。ニナが生きていた頃がそうだ。機械文明は今よりもずっと発達していて、マナを利用した動力の研究が進んでいて」
よく知ってたな。教会の詰め込み?
そう、カインは笑って自分を抱え上げるシンを見下ろす。シンの服はカインから流れ出した血で真っ赤に染まっている。
「でも巨大な力が使える分、負担も大きい。すぐガタがくる」
「……っ」
「ディーヴァは力を使いはたすと、次の世代のディーヴァにその記憶と力を引き継いで死ぬ。そうやって、ニナも大崩壊後に死んだ」
「それが、お前か」
「そう。そしてディーヴァが覚醒するのは決まって星の安定が崩れる直前だ。本能なのかもしれないけど……」
俺が今ここにいるのも、同じだと呟き、カインは遥か下の暗闇に視線を落とす。
「早くしないと、手遅れになる」
ようやくたどり着いた地底にゆっくりと降り立つ。
深い地底。
ヴァーラス・キャルーヴの最深部は外の戦闘など感じさせないひんやりとした空気の中にあった。
混濁する意識を、前方を見据えることでどうにか保つ。
「大丈夫、ちょっと落ち着いた」
「しかし……」
自分を抱きかかえようとするシンの手を断り、足を進める。どうにも動かない筋肉に、シンに気づかれない様に、そっと足にマナを回した。
「こっちだ。この先に墓地がある。そこにニナがいる筈だ」
「何故わかる」
「知ってるんだ」
「……アラストール」
「そう。俺が今代のディーヴァだから、ニナの持っている記憶もふくめ、今までのディーヴァの記憶は持ってる。……ニナが死んだ最期の地がこのヴァーラス・キャルーヴで、ニナが生きていた頃から歴代ディーヴァの遺体はこの地下に安置されてきていた」
教会によって移設されていなければ、当時のまま残っている筈だし、女性対の巨大なキメラが自分から抜き取ったアラストールの反応も、自分たちと同じ方向を目指してるのが、感じ取れた。
『――……君、――シン君、聞こえる!?』
「……聞こえる。」
ふいに、インカムに入った通信にシンが応答する。リズらしい。
『高エネルギー体は最下層に到着したわ。場所はA-四ブロック。貴方達のいる場所から北東にいったあたりよ』
漏れ聞こえる声から大体の内容を察する。高エネルギー体とは、カインの体から抜き取ったアラストールの事だろう。あの核の様な物体を、あの翼の生えたキメラが運んでいる。
(早く、取り返さないと)
だが。
「シン、リズたちにできるだけ早く、此処を離れて距離をとる様に言ってくれ。もしもの事があった場合、――ニナが目覚める様な事があった場合、何が起きるか分からない。巻き込まれるかもしれない」
「……?」
「それと、振り回して悪い。――もうここでいい。お前も帰れ」
「何を……っ」
「姉さんが待ってるだろう」
「……っ」
黒髪の少年は目を見開き、カインの目を見つめ返してきた。その視線を意識的に無視して、足を進める。
暗い廊下は広く、そして高く、不安になる闇に覆われている。だが、確かに遙か先に仄かなオレンジの光と、その光に照らし出された扉が見えてきていた。
「カイン、俺はっ」
納得できないと言うようなシンの声が後ろから追いかけてくる。
その声に再度「早く戻れ。姉さんが追っかけてきちまうぞ」と返せば、背後でシンが立ちすくむ気配がした。
――これでいい。
大気が揺れている。星が揺れてる。
ディーヴァが現れるのは、何かしら星が変調を来す場合。
ここ数十年でリズやジェフたちのような能力を持つ「ヘレシー」が増え、地震が続き、ディーヴァが現れた。大きな乱れは例えニナが生き返らずとも、何かしらが起こる事を示唆している。
アラストールを取り返し、ニナの復活を止め、来たるべき星の変調を最小限に押さえる。その使命の中で何が起きるとも分からない。
生ぬるい感傷に浸っている暇などない。
だが、カインの決意と割り切りはむなしく、ひたむきな青年の声にかき消された。
「――俺は、お前が好きなんだ」
空洞に響く声。
「……っ……」
ディーヴァの少年は瞳を見開き、その足を止め、そして背後を振り返った。

 

 

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