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夏の日

少しでもこの時が続けばいいと、確かにあの時自分は思っていた。

勢いをつけてステップを一段飛ばしに駆け上がる。視線を上げれば目の前に広がる青が鮮やかで、自然と笑みがこぼれた。
「ニナ、見える」
背後から聞こえてきた声に振り替える。
十段ほどしたから幼馴染みのコウが自分を見上げ、どこか困った顔をしていた。眼鏡の奥の琥珀色の瞳が、こちらを真っ直ぐ映さず虚空を泳いでいる。
その言葉と表情にニナははっとして片手でスカートの前を抑え、さらに手にした鞄で風に煽られる後ろも抑え込んだ。
「み、見えてた? 」
「……」
目の下を僅かに赤くして頷くコウの様子に羞恥心がこみあげてきて一気に頬が熱くなる。
正直こんなものを履いた事なんて初めてだし、母に押し切られなかったら絶対に履くものかと思っていた代物だ。なのに一度履いてみてしまうと、スウスウと腿のあたりがするのにさえ慣れてしまえば意外と楽で、正直スカートなんてものを履いていた事さえ忘れていた。
「はは、言ってくれよ……」
「今言ったじゃないか。――というか『口調』。……女子で通すんじゃないのか? 」
まさかもう飽きたのか、と呆れた口調でニナを見遣るコウに、ニナは「そういえば」と頭をかき喉を抑えた。「あーあー」と喉の調子を整える。
「あー……、うん。『もう、コウ君も言ってくれればいいのに! 』」
「気持ち悪いな」
ずばりと。
精一杯女の子らしい声色で発した言葉をあんまりな言葉で一蹴され、思わず口元がへの字に歪む。
仕方ないじゃないか、とニナは思った。
そもそも自分はもとはれっきとした男子で、数か月前まで健全な男子学生として男子校に通っていたのだ。それがいきなり高熱を出して倒れたかと思えば、声は微妙に高くなるわ、わずかながら胸も出てくるわ、妙な力に目覚めるわで、挙句の果てには政府の役人が押しかけてきて、「今すぐ首都へ向い、精密検査を受けろ」などという。
検査結果は、『性別転化の兆候有』。
しかも男子でもなければ女子でもなく、両性だという。タコか。
だが両性と言っても、自分はどちらかというと女性の特徴が大きく出る傾向にあるらしく、「このまま進めば体型は女子に近くなるから、女性として過ごした方が日常生活上も違和感はないでしょう」だなんて、主治医にお勧めされてしまった。
延々と悩み悩んだが、結局胸なんて物もささやかながらできてしまって、コウにまで指摘されて恥かしさに泣きそうになって――だから女子として生きると腹をくくったのだ。
だが、女子として生きると腹を括った事と、女の子らしい仕草とか口調ができるという事はまた別だ。
「そんなこと言ったって……」
気持ち悪いという言葉に結構ショックを受けた自分にげんなりしながら、肩口で揺れる桃色の髪をかき混ぜる。
女子らしい言葉づかいなんて分る筈もない。浮かぶのはせいぜい小うるさい母親の口調か、アニメに出てくる目の大きい少女言葉くらいだ。
「口調とか、仕草とか、なんか演技してる感が抜けないんだよなあ。なんかさ、俺考えたんだけど、女子意識するより、普段通りしゃべった方がいいじゃないかな。楽だし、ボーイッシュな子っぽく見えるんじゃないかな」
そう隣に立つコウを見上げれば、コウは小さく苦笑して「まあ、そっちの方が俺も違和感ないけどな」と言って首をすくめる。
「それに、お前、これから口調気にしてる暇もないだろ、きっと」
「お……」
言われた言葉の意味に思い当り、眉を寄せる。
性別転化なんて、そう頻繁に起きることじゃない。自分にそれが起きたのは、選ばれたからだと、そう役人たちが言っていた。
選ばれた。
そう、『ディーヴァ』に、だ。
口ごもったニナに気づいたコウが、階段をあがる足を止めてこちらを振り返った。無言でニナの言葉を促す。
「……なんかさ、正直ディーヴァってのが、何をやるのかもわかんない」
女の子らしい口調とかより、もっと。
「そもそも、自分が何をすればいいのか、自分が何者になったのかすら解らないんだ。そのうち自覚するって、みんなは言うけどさ」
「……」
そう言って幼馴染の顔を窺えば、彼は頭一つ分高い位置から切れ長の瞳を細めて自分を見下ろしてきた。何かを思案しているような顔はやたらと涼しげで、――少しだけ、どきりとする。
「耳を澄ませば、声が聞こえるんだろう」
「……うん」
「やってみて」
「……うん」
コウに促されてそっと目を閉じてみる。柔らかな夏の空気。少し香る自分とコウの汗のにおい。すぐ傍の優しい呼吸。
木々の葉擦れの音と、コンクリートの中でも息づく生き物たちの声。
集中すれば集中するほど、研ぎ澄まされる感覚。
そして最後に聞こえるのは――宇宙の声。さざめく波の様な、胎動の様な波形で押し寄せるどこか落ち着く蒼空の声。
「ニナ」
「――大丈夫、聞こえてる」
あまりに無言になった自分を心配になったのか、コウが腕をつかんでくる。
ゆっくりと目を開けば、すぐ傍に自分を覗き込むコウの顔があった。僅かに汗の浮かんだ自分の額の髪を払ってくれる。
「……過保護だなあ」
くすぐったい感触に笑えば、仏頂面でコウは押し黙った。
「その声が、教えてくれるんじゃないのか」
「……」
ディーヴァである意味を。ディーヴァがなすことの意味を。
(そうかもしれない)
胸の底にすとんと落ちた言葉に小さく頷く。
それはあながち間違ってはいないような気がした。
この地上に生きる者たちの、どの存在よりも鋭く研ぎ澄まされた感覚。きっとそれは多くの事を察知できる。多くの事を成し遂げられる。
「あ……!コウ、見えたぞ! 」
「あれか。割と駅から近いんだな」
視線を上げた先に、キラリと光る建物の輪郭。夏の光の中で輝く、流れるような優雅な流線型の航路と、その中央にそびえ立つ巨大施設。
『ヴァーラス・キャルーヴ』と呼ばれるその塔は、つい最近開港した宇宙港だ。
しばらくその白く光る影を眺める。
頬に触れる風は甘い香りを乗せていて、鼻をかすかに刺激したその香りに、自身が登ってきた道を振り返った。つられてか、コウも振り返る。
急な坂道の下に広がる青い海。道沿いに見えるオレンジ色の花。
「なあ、俺さ、――がんばるから」
何故だか堪らなくなってそうコウに告げた。
自分はディーヴァで、多くの声を聴いて、世界の為に働くのだ。「やっぱ怖いわ」と苦笑した自分が隠しこんだ不安に気づき、こんな所まで着いてきてくれた優しい幼馴染。そんな彼に、またすがってしまう。
「・・・・・・俺さ、この仕事がんばるから、だから、こ、コウも設計がんばれよ」
何でもない言葉をつかえながら辿々しく言えば、コウは「何を突然」と少し目を見開いてみせる。畳み掛ける様にニナは言いたかった言葉を重ねた。
「ち、ちょっと、勤務エリアは離れてるけど、……お昼とか、いこうな」
きっと、走れば間に合うから、前みたいにさ……。
前みたいに。
勇気を出して、普段通りにそう言って無理やり口角を上げれば、何故かコウが目を大きく見開いて黙り込んだ。
その頬がじわじわと紅くなるのを見上げて、自分も馬鹿みたいに恥ずかしくなる。きっと自分の笑顔はぐちゃぐちゃに歪んでしまっている。
前みたいに。そう言ったけれど、きっと前とは何かが違うんだ。
不意に響いた大きな滑走音。
驚いて宇宙港に視線を戻せば、深い青に白い軌跡を描いて、また一機宇宙へと船が飛び立っていく。
「……そうだな」
その美しさに視線を奪われていた俺の髪を、後ろから伸ばされたコウの手のひらがくしゃりと撫でる。やさしい感触に、とくんとまた鼓動が跳ねる。
「いこう。遅れるぞ」
「……うん」
笑って自分を導いてくれる幼馴染の背中に遅れないように。
一緒にずっと、歩いてゆけるように。
それは、遠い遠い夏の日。

 

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