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存在の意味

視線が合う度、言葉を交わす度に感じるもどかしさは、思っていることがうまく伝わらない事へのもどかしさや苛立ちだと、シンは思っていた。もとより、自分が自身の感情や思いをうまく伝えることに長けていないことは、分っていた。
教会の研究施設にいて、話し相手と言えばほとんど姉のサラ、という環境もあっただろうが、もっと根本的な部分でシンは自身の感情を相手に伝えることをセーブしているところがあった。
思いを軽々しく口にすることに躊躇いを感じもしたし、また、自身の不自由なコミュニケーション力で、思いを言葉にすることで誤解を生むのが怖かった面もある。
だから、カインを前にするとうまく言葉が返せないのも、ひどい憤りを感じるのも、それは口と行動力で今まで生きてきた人間を前に、うまい言葉を紡げない後ろめたさがあったからなのだと思っていた。
(だが違う)
今ならそう断言できるとシンは思った。
「……っ」
振り向いたまま、無言でこちらを見つめるカインに向けて、足を踏み出す。
一歩、また一歩歩けば、そのたびにカインの表情が険しくなった。
ついには一歩足を進めれば鼻先が触れあいそうな距離になり、カインが自分を見上げて、困惑をにじませた表情を浮かべる。
その唇が何かを言いかけ、何も言えずにつぐまれる。そしてまた俯けたその顔を彼が上げた時には、どこか怒りをにじませた表情を彼は浮かべていた。目元や白い首が、みるみるうちに赤く染まり、シンはその様子に喉が渇くような疼きを覚える。腕の中に閉じ込めて、その赤く染まった首筋も、頬も、瞳も、すべてを舐めつくしてやりたいと思った。
飄々としたこの男が、自分の一言でこれほどまでに動揺することに、どこか優越と愛おしさを感じた。
だがそれと共に、血の味のした口付の感触を思い出す。甘く生暖かく、吐き気すらもよおすような。
警戒心をむき出しにした視線。怯える瞳。
この苛立ちは、「俺が、彼に、信用されていないから」か。
それとも自分が、彼にとって、ただ人生の通過点にいる、雑多な人間のうちの一人でしかない事なのか。
このままで分かれるのは、嫌だと、そう思った。

 

 
「な……」
おもわず振り返れば薄暗闇の中で、シンは馬鹿みたいに真っ直ぐ自分を見つめてきた。
「なんで」 と思う。
なんで今、そんな事をいうんだ。
「……っ、――ばか野郎!」
思わずそう叫んで目の前の顔を殴り付ける。突然だった為か、カインの全く勢いも力もない拳がシンの頬にあたる。驚愕を滲ませた表情でシンが殴られた右頬をおさえ、こちらに向き直った。
「何をするんだ!」
「血迷うんじゃねえよ!ばかっ」
珍しく声をあらげたシンの声を撥ね付けるように、カインの怒鳴り声が地下に響く。
途端、喉を血の塊がカインの喉を突いた。むせる様にして吐きだす。その拍子に足に回したマナが途切れ、足の力が抜け落ちる。
やはり立っていられる状態ではない。膝ががくがくと笑ってカインはリノリウムの床に膝をついた。
「ぐっ、……くそっ」
「カイン!」
全身が痛い。キメラの腕が貫いた腹部が視界に入る。そこはぐちゃぐちゃで赤黒く濡れていて、生きているのが不思議な位だ。つくづく自分が化け物であることを実感する。
それでも、どうしてもシンを再度殴りつけたくて、口元の血を手の甲で拭って、自分を抱き起そうとする彼を睨みつけた。
(ふざけんな)
――人が必至に遠ざけようとしているというのに、何故過去の過ちをなぞろうとするのか。視線の先で戸惑いの表情を浮かべたシンが、だが真っ直ぐな瞳でこちらを見つめてくる。
(ああもう……)
頬が、熱い。
だから嫌なんだと、カインは思った。
過去の、ニナの記憶に縛られるのも、この大して長持ちしないこの体で、こんな精神力を使う思いをしなくてはならないもの嫌だった。人間らしい感情なんて、ここから先、辛くなるだけじゃないか。
「――俺は、血迷ってなんかいない」
「どこがだよ」
シンの瞳が、カインの否定に苦しげに歪む。
自分の中のニナの記憶がざわめく。
ニナはうれしいだろう。とても。
ニナは、あの少女はコウのその言葉をずっと望んでいた。息絶えるまで、人でなくなるまで、ずっと。
(――コレは俺じゃない……!)
ひどく痛みだした頭を振って、散漫になった思考をどうにか繋ぎ止めようとする。
俺はニナじゃない。
痙攣するこめかみを抑え、声を出せば、絞り出すような酷くかすれた声が出た。
「いいか、今言った事はさっさと忘れろ。俺なんてこんな有様だ。アラストールを取り戻したとしても、助かるかどうかもわかりゃしない」
血迷うな。寂しかったんだろう。だから身近にいた俺を好きだと勘違いしただけだ。
ディーヴァと人との恋なんて、報われる筈がない。
「忘れろ」
「……っ」
カインはシンを今一度睨みつけて、視線を逸らした。そして「早く姉さんのところに戻れ」とだけ言い捨て、震える足を叱咤し、通路の先に足を進める。
だが、――その足は無言で伸ばされたシンの腕に止められた。
腕を引かれ振り返れば、眼前に黒い瞳が迫っていた。
もう嫌だ。勘弁してくれ。
泣きそうになりながら瞼を閉じれば、温もりが瞼に落ちてきた。いつの間にか頬に流れていた涙を、シンが親指で拭って、眦にも口付を落とす。
「――俺もいく。行こう、サポート位できる」
一瞬だけ無言でカインの髪に顔をうずめたシンは、そういうと、カインの肩を担ぎ、前に走り出した。

 

 

視界が何度も暗くなり、意識が落ちそうになるのをどうにかしてつなぎとめる。
足を伝って紅い水滴が尋常でない量で零れ落ちていく。その状態にカインは、これはさほど持ちそうないと悟る。
(あと少し……)
もつれそうな足を叱咤し、無理やり動かしながら視線を前にやれば、昏い廊下の先に先ほど見えたランプの光とは異なる、青い光の点滅が見えた。
ヴァーラス・キャルーヴは、遠い過去に宇宙へ出ていく者たちが利用した大きな宇宙港だった。宇宙港としてのロビーや受付、そして射出航路だけではない。遠方から訪れる人々を迎え入れる宿泊施設に、世界各地、宇宙各地の土産物を販売する商業施設。急病人やクルーたちの健康管理の対応を行う医療施設から、最深部に広がる研究施設まで、ありとあらゆるものがそろった一大施設。
その中心で、船の安全を守り、他星との交信を行い、有事に備えるのが歴代のディーヴァの務めだった。
『ディーヴァ』
それぞれの星に一人だけ現れるその存在は、『星の守護』とも呼ばれ丁重な扱いを受けた。前代のディーヴァが死ねば、新たなディーヴァが目覚めその任を引き継ぐ。ディーヴァは人として人と同じ腹から生まれるから、目覚めるまでは誰もそうと気づかない。体のつくりも人間と同じ。だけど、ある日自分が人とは違う存在なのだと自覚し、そしてやがて政府から迎えが来る。
そうやって、星の守護としての任につき、そして時が来れば枯れていく。
そんな歴代のディーヴァが死んだ後に安置される広間が、ヴァーラス・キャルーヴの地下にある。いわば墓場だ。地下庭園でひっそりと、ディーヴァの亡骸は眠りにつく。
ニナの体は、そこにあるはずだった。
――だが。
「カイン……っ」
「くそっ……あと少し、なのにっ」
幾つもの足音が、いつの間にか近くに迫ってきていた。
飛来するリガの羽音。迫る追手の足音。
だが視線の先に、古い鋼鉄製のドアが見えた。塔の近未来的な作りからは一線を画した、どこか童話めいたアンティックなつくりの扉。そこに至る透き通るガラスの階段を二人は急いで駆け降り、その戸を押し開こうと力を込めた。だがカインの力では開かない。見かねたシンが渾身の力をかけても、扉は開かない。
「畜生っ!」
こみ上げる焦りに思わず毒づき、カインは左腕を扉へ向かって突き出した。指先にみなぎらせたディーヴァの力。
口の中に溢れる血の味を飲み込んで、その力で扉を勢いよく内側に開け放つ。
バァン!
「……っ! 」
重い扉が開け放たれたその瞬間、草の香りが鼻を突き、視界を光の破片が覆った。
――息を、飲む。
森の中に迷い込んだかのような部屋。鮮やかな青の空。
「これは……何だ」
シンが驚きの声を漏らす。
(偽物の空だ)
ディーヴァの最期の時を、やさしく包み込む為に創られた、仮初の空。
ここは星守の為の墓地。
二人の視線の先で、現実感のない空と緑の空間の中、いくつもの白く高い墓石がぽつぽつと並んでいた。
だが、その中央にあるのは墓石ではない。
(ニナ……)
仮初めの空の下で、そのディーヴァは憎しみを体全身に張り付かせ、時を止めていた。
ゆがんだ表情。細い体。自身の髪をかきむしるような体制で、絶叫の途中で時を止めた灰色の死体。
その周囲を物々しく兵士たちが取り囲み、さらにその内側に、遺体を取り囲むようにして白装束の者たちが立ち、一心不乱に何かを唱えていた。
高まる詠唱と共に、ニナの周りに複雑に描かれた文様が赤くかがやきだす。
(あれは……!)
「だめだ……!」
今行われようとしている事を悟り、カインは叫んで円の中央へ向かって駆け出した。何という儀式を行っているのかはわからない。だが、これが何を意味するのかは、本能的にわかった。この者たちは封印されたニナを目覚めさせようとしている。
それだけは、なんとしてでも止めなければならない。
だが、カインがニナの元にたどり着く前に、轟音とともに巨大な影がニナの前に舞い降りた。巻きあがる粉塵から瞳を庇いながらも、衝撃の元へ視線をやれば、そこに現れたのは煤に汚れた白い獣の羽。
羽に覆われた女性体と、美しく整ったが人とは異なる青い光を宿す瞳。長く伸びた銀の髪。そして紅く濡れた大きなかぎ爪。
カインの中からアラストールを抜き取った、キメラだ。
ニナの前に跪いた彼女は、一度高く鋭く鳴くと、その毛におおわれた手に握りしめた紅く拍動する光球、アラストールをニナの胸に押し当てた。
ドクン――
低い振動。
その低い振動にカインはひゅ、と息を飲んだ。
共鳴するようにその振動はカインの体を揺さぶる。本来カインの中にあるはずのもの。その力が、元の宿主の体へと戻ろうとしている。
肌を震わす拍動。周囲の兵士、白装束の男たちが「おお……」とどよめく。
アラストールから噴き出たその力は、蛇のようにニナの体をはい周り、石に覆われたその胸の中に吸い込まれていく。
「そそぎ・・・・・・込んでいるのか」
傍らに立ちすくんだシンが、そう呟くのが聞こえた。
「――っ!!! やめろおおおおおっ」
アランから譲り受けた剣を構え、カインはニナを止めるべく、再度走り出す。足元の草、広がる青空を多い尽くすかのように広げられたキメラの翼。そして、あまりに早くディーヴァに注ぎ込まれるエネルギー。
「うぉおおおおっ」
振りかぶった剣に全力を込めて、カインはその剣先をキメラの背へと振り下ろす。
だが、その刃はその背に到達する前に鋭い刃によってはじき返された。
「っぐぅっ……っ! 」
衝撃を宙で一回転することで殺し、カインは顔をあげる。その視線の先で、豪奢な金の縫い取りのされた蒼のマントが翻った。
白い教会の制服をまとった銀髪の男が、その薄い唇に酷薄な笑みを浮かべる。
「エミール……っ!! 」
男の名を低く呼び、カインは再度緑の芝生を蹴り、エミールが守るキメラの背中に向けて突進する。
「どけえええっ」
咆哮。
「させぬ!」
白い軌跡を描いた剣が再度エミールのレイピアとぶつかり火花を散らす。空気を振るわせる高い振動。
「満身創痍で、何をしようとしているんだい?もう君の出る幕は終わったんだよ」
「うるさ、いっ」
キインと剣をあわせる度に高い音が仮初の空を切り裂く。
「アラストールのないディーヴァなど、もはやディーヴァではないだろう? ニナにすべて譲って引退すればいい」
「どうせニナが生き返っても、お前らのいいなりだろう? そんなものは、ディーヴァとはいえない! 」
「笑止! 」
笑ってエミールが渾身の力でカインの剣をはじき返す。強い。
エミール=ヴィルヘルムがヘレシーであるなどという話は聞かない。純粋な剣技と磨き抜かれた体裁きがカインの攻撃を阻む。
(付け焼き刃の体術じゃ、勝てない)
自分など元々ただの機械工だ。アラストールの巨大な力を奪われた今、体術や剣技では、ナイツの総長に上り詰めた男に勝てる訳もなかった。
(残された力を無駄遣いできない)
どうにかエミールを突破し、あのキメラを止めなければならないのだ。
荒れる呼吸をどうにか沈めながら、カインは目の前で余裕の表情を向けるエミールの背後に視線をやった。
「ディーヴァに成り立てのガキが吠えるのはいただけない。 そもそも、ディーヴァなど必要ないのだよ。人間の生を、人外の化け物になぜ管理されなければならないのか」
「……っ、それ、は」
「答えはないのだろう? ディーヴァとは何だ。世界の監視者か。神の使いか? 」
(ディーヴァとは何だ)
言葉として突きつけられたその問いに、カインは緩く首を振る。
星の危機を救う。その使命は、ディーヴァという存在が神格化された際に、人々に植えつけられたものなのはわかっていた。
では、ディーヴァとは何のために生きる存在なのか。
(答えなんてない)
「すでにディーヴァたちが守護として崇められた時代は終っている。――人は、自分に課せられた使命を心のよりどころにする。そういう意味では、歴代のディーヴァたちは異質な力を持った自分たちの存在を、その使命をよりどころにして肯定していたのかもしれない。――だが、君にはその使命もない。力もすでにない」
「……うるさ……い」
「君には、『存在する意味』がない」
「違う! 」
「ディーヴァの管理などもう必要ない!私は、私の力で世界を変えてみせる!ディーヴァの力、人間の未来の為に使わせてもらう! 」
エミールの剣先、そして兵士たちの銃口が一斉にカインに向けられる。
ここまでなのか、そんな言葉がカインの胸に浮かんだその時。
『カイン、右だ! 』
突如頭に直接響いたシンの声に、飛び跳ねるようにカインはエミールの右側に飛び出した。カインの後ろから現れたシンが、カインの突然の動作に動揺する兵士たちを瞬く間に蹴り倒す。
「うあああああああああああっ!! 」
カインはエミールを飛び越えて、その切先に込めた力を開放する。その力は瞬時に結晶化し、カインの体の周りでいくつもの鋭い槍となって、キメラの背へと突き立った。
「キリエ! 」
エミールの叫び。
空気を切り裂くような悲鳴を上げて、キメラがキメラがドウッと倒れ込む。
だが――――。
「アラストールは……っ」
「――っ、だめだ……」
シンの言葉に答えるカインの声は酷くかすれ、零れ落ちた。

 

 

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