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憎き世界

隠れ里。

コマドリ隊員がホームと呼ぶ里は、森を抜けてすぐの岩山の奥にあった。ぱっと見にはただの中規模の岩山にしか見えないが、内に入り込んでみるとその内部は意外にも入り組んでいる。岩のアーチを潜り抜け突如開けた平地にホームはあった。
その平地に船を降ろす。
ほっと息をつく気持ちなのだろう。和やかに談笑しながら団員達がコマドリから降り、迎えに出た家族と再会を喜ぶ。その様子に、唯一の所持品である工具箱をもってエアシップのタラップを降りたカインは瞳を細めた。久しぶりに自分の子供を抱き上げる隊員と、その家族の笑顔。微笑ましい光景に思わず笑みが漏れる。だが同時に教会の戦艦との戦闘で出た犠牲者十数名の家族を思い、チクリと胸が痛んだ。
(……これからどうしよう)
自分はどこに行けばいいのだろうと考え、とりあえずエアシップから少し離れた場所に移動し工具箱に腰を下ろす。こんなに乗っていたのかと驚きながらエアシップから降りてくる人の列に視線をやれば、自然、彼らの足を進めていくホームへと視線は移った。
数個のドームのような建造物にアパート状にいくつもの住居があるのだろう。頭上ではドームからドームへと渡されたロープにさまざまな柄の洗濯物などが干され、視線を下へと移すと雑多とした生活用品にまぎれて先ほどまで乗っていたエンケが、子供の落書きを施されて置かれている。
「……」
自分もやった覚えがあるなあと、近くまで寄ってその落書きを指でなぞった。子供の拙い字で家族か友達のだろう顔や、エアシップらしき絵が描かれている。
(俺……)
俺の寝る場所、なかったらどうしようと急に不安になり、知り合いの姿を探そうと立ち上がったカインの目の前をバッサバッサと音を立てて何かが横切った。
「お兄様ー!」
「……っ」
(ドレス?!)
驚いて振り返った先で、ピンクの豪奢なドレスとオレンジがかった金の髪の女性が、広場へと姿を現した男性へと抱きつく。
聞き覚えの有る声。カインの聞き間違え出なければそれは我らが艦長のものの筈。だがそのトレードマークのようなツインテールは下ろされ、やけにつやつやと光っている。しかもど派手なドレス。
「……何だあれ」
あっけにとられるカインの前で、驚く変貌を遂げたリズが穏やかな物腰の男性(「お兄様」なのだろう)に抱きつき、ぐるんぐるんと抱き上げられて回り、降ろされたらすぐに弾丸のように満面の笑顔で喋っている。
「いつも帰ってくるとああなんだ」
「ジェフ」
「リズは元大貴族のご息女ってやつだ。ミンディアのな」
声に振り返るとメタリックな機械の腕で、軽々と自身の巨大な荷物を肩に担いだジェフが歩みを進めてくるところだった。
「……お嬢様?」
「お嬢様」
カインの問いかけに頷き、ジェフもまたピンクのドレスに視線を向ける。普段の不敵な笑みを浮かべた姿が嘘のような笑顔を浮かべて、リズは自身の兄と話している。
「ミンディア国王をおじ様と呼ぶくらいの貴族様だ。だが兄弟で力に悩んでてな。親も気味が悪いとリズ達兄弟を突き放す始末だったとこを、俺が見っけて連れてきたんだ。単に匿ってホームに住まわせてやるつもりだったんだが」
コマドリに入ると言い出したリズが、艦長に選ばれるまでそう長くは掛からなかった。
「纏める才能があったんだろう」
そういってジェフは苦笑する。
ふーんと再度ジェフからリズに視線を移すと、カインとジェフの視線に気づいたのかリズが振り返り、少し頬を紅くして「なによ」と睨んできた。
「ホームに戻ってきた、この少しの時間だけお兄ちゃんっこに戻っていいと目つぶってやるのさ。……ほら」
突然ぽん、とジェフがカインの頭を軽くたたく。
「え……あ」
ジェフの顔を見上げると、ジェフは苦笑して空いた手でカインの工具箱を取り上げた。
「羨ましいのか?そういえばお前孤児だもんな」
そう言い、カインの工具箱を持ったまま雑多としたドームへと足を進めだす。
「え、ジェフ?」
慌てて声を上げたカインに振り返らないまま
「お前は俺んちだ。まあエアシップに泊まってもいいけどな。誰もいねーぞ」
そう告げそのまますたすた、というよりはどすどすと歩みを進める。
そんなに、物欲しそうな顔を自分はしてたのだろうか。
(見破られてしまった)
急に恥ずかしさがこみ上げてきて、頬が熱く火照る。
「う、うん……っ」
どうしようかと逡巡したが、どんどん遠ざかってしまう背中にカインは慌てて描けだした。

 

 

虫の声が綺麗だな、とアランは思った。
書類から目を離し、木の間に吊られたハンモックから見上げた宇宙で、幾つもの星が瞬き、その間を横断するように淡くこの星の輪が架かっている。
見慣れた光景だが、目を凝らすとその発光色も様々で、美しい。輪を形成する岩石に含まれる成分と、輪を取り巻くガスが何らかの化学反応を起こし、その反応に因って様々な色が発現するのだと昔聞いた覚えがあった。誰に聞いたんだったか、と記憶の出所を探るが思い出せず、アランはすぐに考えるのをやめる。きっと当時の自分が興味を抱いたのはこの知識に対してだけだったのだろう。
――あの先へまでも大昔、祖先たちは足を運んでいたのだという。
今でも各地にのこるハイウェイやビル等の遺跡の中には、宇宙港だろうと推測される施設もある。出発時刻と天候を告げるホログラムの女性は、映像はひび割れていたが美しく清潔感のある近未来的な衣服を着て、『快適な宇宙の旅を』と微笑んでいた。
(遠すぎる話だな)
書類を自身の腹の上に置き、腕枕をして空を眺める。宝石箱をひっくり返したような。そう考え、アランは自身の表現力のなさに苦笑した。どこかで聴いた言葉過ぎる。
(もっと宇宙は壮大でロマンがあって……こう、……なんだ?)
星を眺めつつ適切な言葉を捜すが一向におもい浮かばなず、がしがしと頭を掻いてアランはまた思考を放り投げた。考えてみれば戦術や暗殺手段の知識はあれど、大宇宙のロマンを人に語りきかせる知識とセンスが自分にあるわけもない。綺麗なら綺麗。自分はそれで良いじゃないか。美しい知識は詩人や小説家に任せておけば良い。
うんうん、と一人頷きアランが再度書類に目を通そうとしたとき、突然離れたところからどっと笑い声が起こった。んあ?と視線を向けると焚き火を囲んで部下達が声を上げて笑っている。何か面白い話題が挙がったのかもしれない。そう思いつつ横目でオレンジの光に包まれる談笑風景を見ていると、団員の一人がその視線に気づきアランに笑顔を向けた。
「隊長ー、隊長もこっちきて話しませんかー!ほら、飲みましょ!」
「ああん?なんだ、その酒」
体を起こしそう聞くと、輝かんばかりの笑顔で「ブレンドっす!」と返事が返ってきた。ブレンドといえば聞こえはいいが、彼らの場合のブレンドとは、有る酒を、種類お構いなしに混ぜ合わせた闇鍋ならぬ闇酒である。
「お前ら、またやってんのか。飲みすぎるなよ」
「はいっ!でもたいちょー、今日はのみましょ!ね!」
「そーですよ。今日くらいは!せっかく揃ったんですし」
アランの言葉に笑顔で頷きながらも、部下の青年は赤い顔で手にしたカップを持ち上げて見せる。談笑していた隊員達もそれに気づき口々にアランを呼んだ。ぼっさー、とした外見とは裏腹に、任務や訓練に関しては鬼と呼ばれるアランも、今日ばかりは「しょうがないな」と彼らの様子に苦笑して「読み終わったら行く!俺の分とっとけよ」と声を投げかけた。
ナイツ「黒」宿舎。
トスカネル北部、ミンディアに面する針葉樹林の森林内に隠れるように設置されたナイツの本基地である。もっとも、数部隊に分かれて下された任務を実行する「黒」のメンバーが、この本基地に全員集まることは殆どない。各部隊が任務をこなし、一時の休息の場として戻り、隊長であるアランや、アランが居ない場合は隊長補佐のレンツによって次の任務が言い渡されるまで訓練をしながら時間をすごす。だが、今日は珍しく五四名の精鋭全員が宿舎に集まっていた。
――近々、大規模な任務がある。
(何名消えるか)
ハンモックを揺らしながらアランはふと浮かんだその言葉に、軽く首を振った。
決して綺麗とは言えない仕事だ。視線の先で屈託無く笑う奴らも常に、いつか自身に訪れるその時を胸のどこかで覚悟してこの仕事についている、はずである。家族を養うため、豪勢な暮らしをするため、人に言えぬ事情が有るため、裏稼業から足を引けなくなったため。「黒」メンバーが「黒」メンバーである理由はそれぞれで、アランを含め、皆感情がどこか麻痺している者ばかりだ。だがおかしなもので、寝食を共にした仲間を失った場合の感情だけはいつまでたっても麻痺せず、突然湧き上がっては胸に重くのしかかる。
(だがそれでいい)
そうアランは思っている。その感情すら麻痺してしまったのなら、まさしく狂気に落ちたと言えるのだろうから。
「――アラン」
「ああ、じーさんか」
近づいてきた大柄な気配に、誰だかは判っていたがアランはそう声を発し、ハンモックから降りる。地面に足を着くと乾いた土の匂いが鼻をついた。
ラフな格好で集まっている他とは違い、一人黒い制服に身を包んだ初老の男が歩み寄ってくる。大柄とはいっても背は百八十五のアランよりも十センチほど低い。大柄なのは横幅の方だ。だがその体も太っているわけではなく鍛え抜かれた筋肉で覆われ、顔には過酷な人生を生き抜いてきた事を主張するかのような深い皺が刻まれている。それもまた老いを感じさせるものではなく、むしろ頑健な体と意思を象徴する威圧感のあるものだ。
レンツ=カーライル。アラン率いるナイツ裏舞台『黒』の副隊長を務める男である。鷹のような鋭い目つきのこの男は、ゆっくりとアランに近づき一言「突き止めた」と言葉を発した。その言葉にアランは目つきを変え口元に笑みを浮かべる。
「流石だな、副隊長。――どこだ」
「原始の森なんぞを通りおった。あそこは足元は底なしの沼だからな。こっちは目立ちすぎる空挺は使えないから一度追跡を諦めたが、代わりに外から迂回してそれらしい場所を突き止めた。時間はかかったが……」
ガサガサと懐から畳まれた地図を取り出しアランの目の前にその一部分を指し示すと赤ペンで丸をつけた。ぎりぎりと音がしそうなほどの筆圧に(ペン先へこむんじゃないか)などと思いつつ、アランはその位置を確かめる。
「ミンディアを抜けた北部。未開の山岳地帯の隠れ谷だ。十中八九間違いない」
「十中八九?」
「勘だ」
アランの言葉に臆面も無くそう言ってのけ、レンツは地図を懐にしまいこむ。その台詞にアランは笑って「じーさんの勘なら当たりだな」と返した。この老人のことだ、可能な限り調査した後の『勘』だろう。この経験豊富な老人の鋭い嗅覚は、滅多に外れることがない。
「自分だけ戻ってきた。後は十分に距離をとった上で駐屯させてある」
「攻めるなら、……やっぱ包囲だな」
腕を組み空に視線をやり、少々考えた後、アランはそう言って頭を掻いた。レンツが無言で頷く。
もともとそのつもりでメンバー全員を集合させたが、実際はあまり取りたくない戦法だ。だが入り組んだ地形的に一方から攻撃を仕掛け、どこかに追い詰めることは難しい。その方法だとターゲットを逃す確立も高いだろう。
「敵はエアシップがあるが、こっちは足のみだからなあ。ターゲットが空へ逃げる前に、包囲を狭め、エアシップを落とす。ターゲット確保後速やかに撤退。私情はあるが、無駄な血は流したくないからな」
「時間勝負か」
レンツの言葉に頷き、「厄介なところに陣を構えたもんだ」と漏らす。
敵のリーダーは馬鹿じゃない。屈強な目つきの鋭いジェフというサイボーグ。十五年前、教会の塔から能力者達が脱出を計った際の先導者であるジェフという男の、隣でいつも不敵な表情を浮かべている女性。まだ二十歳そこそこだろう。若い女性だが、目つきは小娘とは言えぬ落ち着きがあった。人を率いる先導力と、思いやりと、思い切り。それを兼ね備えた目だ。
(本当のリーダーは彼女だろう)
そうアランは思っている。
おそらく補給が終わりさえすればすぐにでもホームから離れ、目的の審判者の片割れの救出に向かうだろう。一度飛び立たれてしまえばあの高速戦闘艇を地上から狙い撃ちすることは難しい。
だがホームが判った以上、少なくとも物資の補給源を絶つことは出来る。
(貰った金に見合う仕事を、な)
レンツと視線を交わすと、振り返りオレンジの光に包まれた広場に体を向ける。
「――盛り上がってるところに水を差すようでわるいが」
背後で思い思いに談笑していた隊員達の間に、切り込むようにそう声を発し、アランはその輪の中に足を進めた。
シン……と水を打った様に笑い声は途切れ、辺りが静まり返る。
残ったのはパチパチと焚き木の爆ぜる音と、虫の鳴き声。
(この鋭さは嫌いじゃない)
一瞬にして目つきの変わった精鋭達をぐるりと見回し、口を開く。

「仕事だ」

 

 

 

カツカツと足音がしている。それに伴い上下に動く視界。視界の先にはぼんやりと霞がかかったように曖昧だ。
白いような灰のような色をした、どこか閉鎖的な印象を受ける通路を左にまがると右手にドアの開いた部屋があった。その部屋の奥で、一人の男性が何かに気づいたようにかけていた椅子から腰を上げる。ちらりとその背後に薬品らしき瓶が棚に並べられている様子と、何の用途に使うのか判らない機械類が設置されているのが見える。男はワイシャツとズボンの上に白衣を着込み、中肉中背で、顔は……顔は距離のせいか判然としなかった。
男は慌てたように小走りに部屋を出て、カインのいる方向へ足を向けてくる。
(何かあったのかな)
男の反応に、誰かが来たのかも知れないと思い後ろを振り返るがそこには誰の姿もなく、ただ灰色の無機質な通路が広がっているだけ。
自分の意思とは関係なく一歩後ずさる。
あれ、と思った瞬間に左腕をその男に掴まれていた。
(何?え、何で?)
強い力に驚き、男に目をやりぞっとする。
少しだけ高い位置にある男の顔は、これほど近くにあるというのに未だ各部分のパーツが霞がかかったようにぼやけたままだった。
チラチラとノイズが走る。息を呑み凝視すると、男の顔の中で目や鼻に当たる部分が時々形を作ろうとするかの様にうごめき盛り上がり、完全な形を作ることの出来ないまま、また元のぼんやりとした霞へと戻る繰り返しが見て取れた。
『……!…………!!』
男の口らしき部分がぼやけたままぐにゃぐにゃと動く。何か怒鳴っているらしい。
(何だよ!全然聞こえない!)
腕を掴む力の強さに顔をしかめ、カインはそう言い返そうと口を開く。だが口をついて出たのは全く違う言葉だった。
「……るんだ?お……い、お……しい。元の……に」
自身の内から発された声はカインの声よりももっと高く、響きははっきりとして、毅然としている。
凛として美しく。
だが、それは偽りだった。
(虚勢だ……)
自分の体は恐怖に満ちている。全身を包み込むぐらぐらとした感覚にカインは蹲りたくなった。これは恐怖だ。何故だか判らないけれど自分は恐怖している。
(後は……不安?)
何かに対して酷く不安を覚える。
アイツはどこ?俺はお前なんかに屈さない。アイツを返せ!
男はその言葉に耳を貸さず、何かを怒鳴り散らしながらカインを引きずるようにして廊下を歩き出す。
嫌だ嫌だ嫌だ。話が違う。
(離せ!)
『離してくれ!』
慄きながら咄嗟に突き出した両手は見慣れた自分の腕ではなく、自分のものよりも白く細い女性の腕だった。ガツンと突然衝撃が走り、ぐらりと視界が回る。
殴られたのだと気づいた時には意識は闇に落ちていった。

 

 

ブツンと突然テレビの電源が入ったように視界が明るくなった。病的な蛍光灯の青味がかった色に瞳がチカチカする。ガクリと首が傾きかけ、咄嗟に姿勢を立て直し、自分が椅子に腰掛けていることに気づいた。からからに乾いた瞳で何度か瞬きし、辺りに視線をやろうと顔を上げる。狭い見覚えのある部屋だ。数ヶ月前まで自分が働いていた、研究機関の一室。
(働いていた……)
違和感。
何かおかしい気がして何処となく落ち着かない。何か間違えている。何を間違えている?うろうろと瞳をさまよわせ、そしてはっと気づく。
『自分』?
自分はブレンの町の機械工で、今はコマドリの一員で、そして――。
『大丈夫だった?』
突然耳に飛び込んできた声に『自分』が体をすくませた。突然目の前に男の顔が現れる。狡猾そうな瞳。また一つ顔が増える。ぼやけている。また一つ顔。その顔は口の下だけクリアにそこに存在していた。特徴的な分厚い唇。いくつもの顔が目の前にひしめき合うように現れる。それぞれ全てはっきりと見えるものもあれば、顔の輪郭すら判然とせず靄のかかったものも多い。それらが皆一様な顔に何も発せずに自分を見下ろしていた。
(怖い怖い怖い怖い怖い)
『……っ』
『自分』が喉の奥から掠れた声を上げて、椅子の背もたれに背中を押し付け身を引こうとする。その動作に一番最初に現れた顔がもう一度瞳を覗きこんできて、『大丈夫。落ち着いて』と口元に笑みを浮かべる。アイスブルーの切れ長の瞳に短めの銀髪。この男は全てクリアだ。男は他の顔達に無言で何か合図したようで、他の者達はぞろぞろと離れていく。
(知っている……)
カインは『自分』の中で視界に広がる世界を見渡した。明るすぎる程明るく点された光に、部屋を仕切るように設置された大きなガラス板。ガラスの向こうでは白衣を着た男女が黙々と何か作業している。
(知っている)
ここはファナ・リエナの地下研究所だ。自分はいつもその第三層に位置する宇宙港で働いていた。
監視化に置かれていたのは知っている。そもそも自分たちは監視されざるを得ない存在だ。だが、唯一の存在として手厚く扱われていた……はずだった。
寂しさが無かったと言えば嘘になる。だけど、それが自分の役目なのだと思っていた。
だけど。
『……!…………のに!』
我に返った『自分』が何かを叫び椅子から立ち上がろうとした。だがガクリとその体は引き戻されてしまう。体は椅子にベルトでしっかり固定され、両腕は後ろにまわされ拘束されていた。
『……んで…?』
信じられないといった顔を『自分』はしたのだろうとカインは思った。
こんな事、される言われはなにも無い。
見開いた瞳の前に乱れた髪がはらりと零れてくる。カインの物より淡い色をし、緩くウェーブしたピンクブロンド。
顔を上げた『自分』の目の前で男は笑みを浮かべたまま口を開いた。
『大丈夫、君に危害は一切加えないから』
瞳を見る。男の瞳は冴え冴えとして、だけれどひどく粘着質だった。ひやりと背筋を何かが這うような感覚。
蛇のような。
(……嘘だ。こいつは自分を『欲しがっている』)
『嘘つき……!』
叫ぶ。
――――何故こんな仕打ちを受けなければならないのだろう。
何故、守ろうとしたモノたちは、欲に塗れて正気を失っていくのだろう。
自分は何の為にいる?
自分は何故こんなモノたちを守らなければならないのか。

――――――――――憎い。

この世界が憎い。

 

 

 

柔らかいものが額に触れた感触にはっとして、カインは瞳を開いた。
カーテンからキラキラと零れ落ちる柔らかな朝の光。低めの木張りの天井に、やわらかな光が差し、ニスが光っている。
「熱はもう無いわね」
「大丈夫だったかい?」
柔らかな笑顔が二つ覗き込んでくる。ぼんやりとその顔に視線をやって、カインは漸く今自分が居る場所を思い出した。
ここはコマドリのホーム。ジェフの家のベットだ。そして自分の顔を覗き込んでいるのはリズの兄であるノルトと、その嫁だった。ホームに着いてから数日、独り身で家事の全く出来ないジェフはリズの兄の家で食事を取っていて、カインもジェフに相伴させてもらっている。
「あ……」
声を出そうとして、喉が掠れていることに気づき顔をしかめる。
「あら、喉が痛い?ねえあなた、お水持ってきてくれるかしら」
「うん、ちょっと待っててね」
少し太めの柔らかい笑顔の奥さんと、細めで品の良い雰囲気をもち、だが気さくなリズの兄。奥さんの腹部はこれから生まれてくる子供で膨らんでいる。あと3ヶ月程らしい。
「時々うなされていたのよ。朝方あなたが苦しそうにしてて、揺すっても起きないから来てくれってジェフから連絡があったの」
「わ、わざわざすみませんっ」
「気にしなくていいわ。私達早起きだから。直ぐ熱が下がってよかったわ。環境の変化のせいかもしれないわね」
額に置かれていた少しひんやりとした手のひらが離れていく。
「あ……」
(もうちょっと……!)
ごつい手でぐりぐり撫でられることはあっても、柔らかい手は知らなくて、離れていった感触がかなり名残惜しい。
だがそんな感情が顔にでたのか、奥さんはにこりと笑って再度頭を撫でてくれる。
「へへ……」
すこし気恥ずかしいけれど、自分にこんなことはあまり無さそうだから堪能しておこう。そうカインは笑みを浮かべた。熱で目が潤んでいるのだろうか。霞んだ視界に移る微笑みと空気がふわりと優しい。
「起きれるかしら?もうそろそろ朝ごはんよ」
「無理しなくていいからね、ふら付くようだったらここにトレーを持ってくるから」
ノルトが持ってきてくれた水を礼を言いながら受け取り、体を起こす。少しくらりとしたが大して具合が悪いようでもない。
「大丈夫、みたいだ」
「そう?じゃあ用意してうちにいらっしゃい。皆あつまってるわ」
「うん。ありがとうございます」
微笑み返して布団から抜け出す。立ち上がると外へ出るドアの外からジェフの四角い顔がこちらを伺っているのが見えた。
奥さんがクスリと笑ってカインに「心配してたわよ」と小声で伝え、先いってるわね。とジェフの前を通って二人は部屋を後にした。部屋を出て直ぐの鉄筋で出来た階段を下りていく音と、身重の妻を気遣う夫の声が遠のく。
「環境の変化のせいか……突然色々あったからかもしれねぇな。まあ、飯くった後またゆっくり休んどくこった」
そういってカインの顔を見下ろしたジェフも、ポンとカインの頭を軽く撫でて階下へと先に降りていった。
なんだかこそばゆい感情に笑みがこぼしながら、カインは急いで寝間着代わりのTシャツとハーフパンツから普段着に着替えだした。
支度を終えて部屋を出ると、階下へ降りる階段の前に見知った姿を見つけた。シャツにベストにスラックス。落ち着いたラフな格好だが、どこか気品を感じる空気は流石純粋培養の御曹司といったところか。
「なんだ、どした?」
「……いや」
カインの問いかけにシンは言いよどみ、そのまま階段を降り出すカインの後に続いた。
シンは階下にあるリズの兄の家に世話になっている。もう既に朝食は始まってるのではないだろうか。
「あっ、もしかして俺の様子見に来てくれたのか?」
(俺そんなに具合悪そうだったのかな)
なかなか降りてこないカインを心配して、見にきてくれたのだろう。
俺そんなに具合わるそうだった?とリズの部屋へ向かいながら後ろを歩くシンを振り返り問いかける。その言葉に黒髪の少年は頷き、口を開いた。
「何か悪い夢でもみたのか?」
「夢?」

夢を見ていた。

「見てないよ?あ、見てたのかもしれないけど、」
あ、早く行かないとリズが怒るよー。そう言ってシンを促し絨毯の貼られた廊下を走り出す。リズの家はこのドームのような建物の一階奥。視線の先でまだ来ないかというように、リズ顔をドアから覗かせているのが見えた。

夢をみていた。

「見てたのかも知れないけど、忘れちゃったな」

嘘だった。

 

 

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