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星の涙

細いからだを抱きしめる腕に、暖かな何かが伝い落ちていく感触を感じる。
血。
カインの血だ。
それは止まることなく流れ落ち、自分の服を生暖かく濡らしていく。
――止まらない。
焦りが脳内を支配していき、治癒能力が使えない自分をシンは呪った。
巻き起こる炎と粉塵。
第一波の後も、背中に強烈な衝撃を立て続けに受け息を詰める。
(……瓦礫でもささったか)
背中の鋭い痛みに、粉塵の中息を詰め視界が開けるのを待つ。状況がわからない。
「…………」
小さな呼吸音。
視線を腕の中にやれば、血に濡れた体が力なく自分の腕に身を委ねていた。白い頬は粉塵で少し汚れてしまっている。いつも良く動く唇は、体内から零れだした紅い色に染まり、内臓の損傷が激しいせいか、吐く息はすでにか細い。身体を濡らす生暖かさは夜の空気に瞬時に冷やされ、体温を奪っていく。
(カイン……)
虚ろな瞳は開かれては居るが……どこも見ていない。
血の気の引いた頬と唇。胸にもたれ掛かった頬は雲間から差し込んだ月の光で驚くほど白い。
(血が流れすぎている)
命が、零れ落ちていく――。
内蔵はずたずたに引き千切られ、止めようのない赤がシンの服すら濡らしてゆく。
(何故、回復しないんだ…… )
銃弾に貫かれても、腕を引き千切られても回復していたあの強靱な回復力は何故か微塵も発揮されない。それどころか少しずつ抱えた身体は力が抜け、重さを増していく。
「……っ?! 」
腕に弱弱しくかけられていた手が力を失い滑り落ちて、突如現実味を帯びた世界にシンは呼吸を乱した。
「……眠るな……、目をさませ…! 」
急に激しい焦燥感に襲われ近くのビルの屋上に降り立つと、シンはその身をさらに強く抱き寄せ呼びかけた。
「カイン……ッ」
(失う……? )
突然そんな言葉が浮かび上がってはじける。
(失うのか……? このまま、この男の何にすらなれないまま……)
微笑みながら、誰にも何も求めないと寂しさを覗かせていた彼の癒やしにも、ひとかけの針にすらなれないまま自分は彼を失うのか。
ただこのまま、カインの中ではほんの些細な存在のまま、自分は彼を失うのか。
俺は。
(……俺、は)
何を。
――何を自分は考えているのか。
愕然とする。
自分は。
「カイン…目を覚ませ…」
早く。頼むから。
(でないと……)
血の赤にどこか背徳的な感情をシンは覚えた。綺麗すぎて目眩かする。甘い香りにその血を啜りたくなる。
腕の中でこの体が息絶えるまで、籠に鳥を閉じ込める様にじっと抱いていたい。そんな思いが否応なく湧き上がってくる。
「カイン……」
抱えた頭に頬を摺り寄せる。いつも柔らかそうだった髪は、実際に触れてみればもっと柔らかい感触を伝えてきた。
焦りの中から浮き上がってきたもうひとつの感情に陶然とし、そして自覚する。
ああ、自分は。
『この感情は危険だ』
いつか抱いた思いが脳裏に浮かんだ。

もう、遅い。

「っ……」
不意に虚ろだった瞳が揺らぐ。はっとしてその体を抱き起こせば喘ぐように息をすったカインは、激しく咳き込んで血を吐いた。
「動かないでくれ」
焦りに上擦りそうな声を押し殺せば、霞んだ瞳に光がゆっくりともどる。そしてカインは不思議そうな色を瞳に浮かべると、次の瞬間勢い良く身体を起こした。
「ッーーーっ……!! 」
「動くな……! 」
「離……っ……! 」
『離せ……!』
そう言いたかったのか。だがその声は掠れ、空気に乗ることはない。いつか感じた不完全な同調に、カインの憤りだけはシンに伝わってくる。
焦っている。途方もなく。
カインは身体を折り曲げ再度咳き込む。紅く滴った血が冷えたコンクリートに散った。それでも彼は立ち上がろうとしてもがく。
「アラス、トール……! 」
(……それは)
「何なんだ、それは……」
ふいに感じた冷えた感覚にシンは怒鳴りつけたい衝動を押し殺し、声を絞り出した。
自分とカインの間にある、どうしようもない隔たりにゆがんだ黒い衝動が湧き上がる。何故自分はこれだけ傍に居ながら、こんなにも大きな隔たりを感じなければ成らないのか。
「早く……、取り返……」
ふらつく足で、だが火の粉が舞い上がる黒い空をきつく睨んでカインはつぶやく。シンの言葉など、何一つ聞こえていない。
――届かない。
シンの言葉は届かない。ほんの一欠けらさえも。
「カイン……動か、ないでくれ……」
絶望的な何かを感じながら、そう手を伸ばしてその身体を自分の腕の中に引き寄せれば、カインはびくりと身を竦ませ、はじめてシンの存在に気づいたかの様に目を見張った。
「……っ、シン、頼……む、アイツを……」
だが、そう殆ど声にならない声を搾り出しながらカインはシンへと縋り付く。
カインは必死だった。
自分の体内で息づいていたあの力を、アラストールを渡してはいけない。
その思いでいっぱいだった。
必死で、なのにどんどんと力が抜けていく身体を持て余して、目の前にあった少年に縋った。
シンなら手を貸してくれると、この自分よりもはるかに純粋で素直でまっすぐな青年なら、何も説明すらしなくとも手を貸してくれる筈だと思ってしまった。
それは、つい数分前にその青年の首を絞めにかかった癖に、そんな事すら棚に上げ、ただ助けを求めた報いだったのか。
――痛みと焦りに霞んだ瞳は、シンの瞳に浮かんだ暗い色に気づけなかった。
「シ……」
『頼むから』
そう言い掛け、自分より少し背の高い少年を見上げれば、暗い色をした深い漆黒の瞳が静かにカインを見つめていて。
(シン……? )
不意に感じた違和感に、カインが戸惑うよりも早く、
――――その口元は、噛み付くようにしてふさがれた。

 

 

なんて我侭な男なんだろうと思った。
気ままで、身勝手で、この自分がどれだけ耐えているのかなど考えもしない。
秘密主義で、何でも一人でどうにかしようとして、用心深い癖に変なところで自分に対して無防備だ。
――迷惑だ。
そうシンは思った。
そんな風に頼られても、そんな風に心を開かれても何も嬉しくない。
腕の中の身体は驚きに強張って小さくなっていた。見開かれたエメラルドの瞳をどこか酷薄な気持ちで見つめながら舌を絡めた。
血の味が濃い。

なんでだ?
そんな言葉しか頭に浮かばなかった。
驚くほど至近距離に酷く深い黒をした瞳があって、怖いくらいまっすぐに自分を見つめていた。
カチ、と硬質な音が鳴る。
それが震えた自分の歯がシンの歯に当たった音だと気づいた途端、急激にこみ上げて来た恥ずかしさに思わず目を瞑った。
(何で?! )
重なっていた唇が僅かに湿った音を立てて離れる。唐突なぬくもりに固まったカインの目の前に、傍若無人な男の黒い瞳が見え、頬の横を通って柔らかな感触が首に押し当てられた。
冷たく冷えた頬に、同じ冷えた頬がスリ寄せられ、まるで大切なものを壊れないようにそっと包み込むように抱き締められる。
耳元にかすかに聞こえた吐息は震えていた。
動かないでくれと囁かれたその声にはっとして目を開けば、自分を抱きしめる体越しに見えた空は吸い込まれそうな漆黒だった。
ふいに全身の力が抜ける。
言うことを聞かない体からは力も命もこぼれ落ちていく。
恐怖が沸き起こる。不安で泣きたくなる。
振るえる喉を空気を飲み込む事で何とか宥めながらも、熱くなった涙腺はどうしようも出来ずに、カインは自分を包み込む温もりに縋りついた。
低い、地鳴り。
巻き上がる炎の中でビルは酷く脆く焦げ付いて崩れ落ちていく。振動はカインとシンの居るビルにも伝わってきていた。炎にまかれたこの場所が崩れるのも時間の問題かもしれない。
そう考えながら、カインはそっとシンの肩にまぶたを押し付けた。せせこましく、食いつなぐ為に汚れて、笑顔で弱さと醜さを取り繕って生きてきた自分とは異質な匂いがした。清潔で燐とした、朝の空気の様な――そんな匂いだと思った。
「……もう時間がないんだ」
「……? 」
不意に呟かれた言葉にシンは顔を上げ、腕の中の存在に視線を向けた。もう動くことが出来ないのか、その体はそれでも自分で立とうとしてシンの胸に手をついて顔をあげた。
「アラストールは、起爆剤になる……。もうこんなに世界が揺れているのに、あんなもの、使ったら……」

はぁ……、とカインは俯いて歯をかみ締める。膨れ上がった痛みが、思考を紅く塗りつぶして気を抜くと意識が飛びそうだった。
「あのキメラを追いかけて、取り返さないと……。崩壊が、進んでしまう」
「カイン、何の事だ……」
シンの言葉に顔を上げたカインは泣きそうに顔を歪めて振るえる声を絞り出す。
「アラストールは、ディーヴァの心なんだ。星の為に死んだディーヴァの感情が……っ」
首を振る。身体に残った空虚感は、アラストールを抜き去られた後も消えない。
ただただ悲しい。悔しい。切ない。寂しい。
――死にたくない。
「感情が、力を持って、……世界に、星に……」
ざあっと風が吹いた。炎は空気を飲み込み尽くし、次第に弱まっていく。
紅く照らされていた夜空は、漆黒の闇を取り戻しだし、遠い宙の光を瞬かせ始める。
チカリと、星たちが鼓動している。
(ああ……)
カインはシンの肩にすがり付いて涙をこぼした。
世界を救おうとしたディーヴァたちの思いが、消しようのなかった嘆きが、世界に
―――復讐しようとしている。

 

 

 

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