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暁の民

『我らの悲願が今日達成されたのだ』と老婆は唇を震わせ、暁矢(アキヤ)の大きな手を固く握った。その細く硬い指先に込められた強い力に、暁矢は喉の奥につんとした痛みを感じながら、口元に笑みを浮かべ、「まだこれからだよ、ばあちゃん」と笑ってみせた。
マナで作った空気の膜が、外気と触れて小さく震える音をたてる。自分たちの肺はこの地上の空気をまだ吸うことが出来ないから、マナの膜を身体の外側に張り巡らせ、常に外の空気を変換し続けなければならない。それは非常に労力のいる事だったが、それでも一歩たりとも地上に出ることが出来なかった三百年間を思えば、大躍進と言える成果だ。
朝焼けの光の中、この地上に満ちた空気を胸いっぱいに吸い込めない事を残念に思いながら、今は眼前に広がる果てしない大地と手足の間をすり抜けていく風を体中で感じよう。そう、暁矢は思った。

 
三百年前、ディーヴァと呼ばれる希少種族の少女が世界の終わりを願った。
それがただの人間の少女の願いであれば、その願いが実現されることはなかっただろう。
だが、鳥が空を舞う能力をもち、人間が物を考え創りだす能力をもつのと同じ様に、ディーヴァは非常に巨大な力を持つ種族だった。そして、自分たち人間より高次の目的を持ち生かされているような存在であった。
彼らは何故か、何かしらの災厄を予見するかのように、ある日突然目覚めるのだという。そして彼らは人間と酷く似た感性や感情をもち、自身の運命に悩みながら、最後にはその生命を賭して災厄を収めようと務める、非常に自己犠牲的な種族であった。
人々はそんな彼らと戦う道ではなく共存する道を選んだ。
彼らを敬い、彼らを崇め、彼らの為の職や住居を与えた。
三百年前にニナと呼ばれたディーヴァの少女も、彼らの能力の一つである、ありとあらゆる物と意志の疎通ができる能力を活かす形で、惑星間の交信役という職を与えられ日々を過ごし、人間の力では対処出来ない規模の災害が起きた際には、巨大な力をいかしその沈静化の任をこなしていたという。
だが、何らかの出来事をきっかけに、彼女はその任を自ら放棄した。
彼女はただの人間の少女ではなかった。
憎しみに身を染めたディーヴァは、世界の崩壊を願い、その力を暴走させた。
暁矢達の先祖達は、その際地下に逃げこむことで何とか命を永らえた者達だ。
それから、地上の世界に戻ることが暁矢達地の民の悲願となった。
地下の民達は毎年毎年地上調査に赴いた。だが最初の百年間、地表では止むことのない嵐が渦巻いており、とても生物の住める環境ではなかった。マナを用い地上の環境に適応する試みもあったが、人々が息を吸う様に使ってきた力はいつの間にかその存在を消していた。いや、マナというエネルギー自体は変わらず在ったのかもしれない。だが、暁矢達はその力を以前のように利用することができなくなっていた。術式を何度編み直しても、その力は発現することはなかった。
百年が過ぎた頃に嵐は止んだ。だが調査に出た者達は、ことごとくその生命を落とした。
地上の空気はもはや地下の民の身体が耐えられるものではなかった。
いつの日か地上に出ることを夢見て、いつの日か地上に出るのだと子孫に語り継ぎながら暁矢達は生きてきた。
何かが変わったと気づいたのは三年程前。
三百年前の、もはや遺跡となった街灯に光が灯ったのだ。火が灯ったのではない。マナの光だ。
その報告を受けた暁矢は、まさかと思いながらマナに関する多くの文献を街の図書館から持ち出し、片っ端から術式を編んだ。まだ年若い暁矢自身がマナを使ったことはない。だが、それでも教本通り編んだ初級術式は確かに発動し、暁矢の手の中で小さな明かりを灯した。
マナが戻ったのだと確信した矢先に、長い間閉ざされていた地上への通路から地下への訪問者が現れた。
数十名の武装した兵士を引き連れたその男は、地上にあるトスカネルという国の代表であると暁矢に告げた。
柔和な笑顔を浮かべたまだ若々しい青年は、隙のない身のこなしで暁矢の元へ歩み寄りエミール=ヴィルヘルムと名乗った。

 
背後から聞こえた振動音に振り返る。巻き上がる強風に老人たちが怯えた声を上げるのをなだめながら、暁矢は空に現れたその機体を見上げた。大気を震わせるのは、巨大な戦艦が紅い大地に降り立つ音だ。戦艦はゆっくりと荒野にその機体をおろし、やがてその白い荘厳な意匠が施されたドアが開いた。白い騎士服を纏った者達が現れる。
先頭に立つ銀髪の青年はまっすぐに暁矢の方へ足を進め、その整った顔に笑みを浮かべた。
「暁の長よ、今日のこの日を僕は心から祝福しますよ」
「――ご協力感謝します」
差し出された手を握り返しながら、暁矢は決してこの男に利用されまいと誓った。
今の協力体制は仮初だ。地の民が持つマナに関する膨大な知識を吸い尽くした時、この男は必ず自分たちに牙を向く。
(それまでに、手段を講じなければ)
悲願のその先を見据え、暁矢は登る太陽を睨みつけた。



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