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腐りそうだ。

ミンディアについて8日目、朝。
シンが紅茶ポットをテーブルに運ぶ際に手を滑らせ、取り落とした。彼は自分のしたことに一瞬瞠目し、だが直ぐに一言「すみません」と言って幸い砕けはしなかったポットを拾い上げキッチンに戻すと、ぬれた床の後始末をしだす。
「あーあー、いいよぉ、そんな」
キャサリンが咥えていた朝食のパンを置いて、それを手伝いだす。
少年の凛とした外見と現在している行動があまりにもミスマッチで、またその手つきも手馴れたものではなく、リズはその様子に苦笑した。ふふっと漏れた笑い声を耳にして、シンが顔を上げ、少々困惑した表情をリズへと向けた。それに首を振って「なんでもないわ。それより服濡れちゃったでしょ?着替えてきたら」とリズは答えた。逡巡するもキャサリンに「ほらほら」と促されると、彼は頷き立ち上がると彼にあてがわれた奥の部屋へ姿を消す。
彼がどのような暮らしをしてきたのかは解らないが、彼の姉が受け、遅かれ早かれ彼自身も受けるはずだったのであろう実験と呼べる教会側の仕打ちは、彼らを道具としてしか見ていないものだった筈だ。実際シンの左肩には、披検体番号と識別文様が押されている様で、同じように被験体として十数年前まで教会の研究塔にいたジェフがそれに気づき、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
だが、研究の集大成といえる彼らは、待遇の面では非常に丁重な扱いを受けていたに違いなく、お坊ちゃま的扱いを受け過ごしてきたにしては高慢になることもなく、非常に素直で誠実に育った様だった。そうリズは少年の消えたドアにぼんやりと視線を向けながら思った。
シンの意識は秀でた姉が居たせいかも知れないが、選民意識が全く無く、むしろ控えめすぎる程だ。
「焦ってるねぇ」
モーテルに備え付けられたモップを部屋の済に戻し、戻ってきたキャサリンがそう囁く。
「そうねー」
もう八日。シンが塔『ヴァーラスキャールヴ』を抜け出してからは9日。まだ9日しか経っていないともいえるが、形だけでも丁重に扱われてきたのであろう彼ら審判者が、片割れを残してでも塔を抜け出したのは、それほどに身に危険が迫っていたからだ。
残されたシンの姉が現在どの様な状態にあるかは不明だが、できるだけ早急に救い出す必要があった。
(それが教会の思惑を妨げる事にも繋がるしね)
審判者。サラ=エドナーとシン=エドナーという双子の姉弟を作り出した教会の思惑は分からないが、この二人が教会にとって重要な存在で有ることは確かだ。彼らを助けようとする理由は虐待を受ける同胞を助けるという至極当然な理由だが、それだけではなく彼らの存在が何を牽引するモノなのかを探り確かめる必要もコマドリにはあった。それが教会への反撃の糸口になる可能性もある。
マーマレードをパンにぼたぼたと落とし、口に運ぶ。パンの上に乗ったジャムの量にキャサリンが「あまそー」といって嫌そうに顔をしかめた。
エンジン音に外に視線を向けると、窓の外を野菜や果物を積んだバンが走っていく。朝の光に、上に被せられた麻布の隙間から覗いたレモンの色が爽やかに網膜に焼きついた。
パタン、とドアの閉まる音に部屋の奥へ視線を戻すと、動きやすそうな濃い色のジーンズに履き替えたシンが奥から出てきたところで、彼もまたリズの手の持つパンに目を遣ると、僅かに眉を寄せた。
王宮の使者が来たのはその数十分後だった。

 
キャサリンに未だ目を覚まさないカイン(とはいえ、揺すっても起きないほどやたらと気持ちよさそうに眠っているだけで、身体的には何の異常も無いらしい)の付き添いを頼み、リズとシンは使者の乗ってきた自動車で坂の上の王宮へ向かった。
空を飛び交う鳥の群れが彫刻された白い門の前で降ろされる。
磨かれ広々とした廊下を使者の先導にしたがって進めば、硬い靴の音をひんやりとした空気が反響させた。視線を上げれば高い天井に描かれた絵画の中の人々は何もいわずに自分を見下ろしていた。その無機質な瞳に、自身が抱えるぼんやりとして落ち着かない気持ちを見据えられているような気がし、逃れるようにシンは視線を伏せた。
案内されたのは宮殿の奥に位置する資料室だった。普段は一般にも開放されているらしいその王宮資料室は、今は人払いがされているらしく静寂に満ちている。使者に無言で促され、扉の奥へと二人が足を進めると、背後でガチリと重く硬質な音がした。
はっとして振り返る。鍵をかけられたのだ。
「リズ……?」
「ん?ああ、大丈夫、大丈夫」
シンの問いかけにそう笑ってリズは使者に有難うと軽く手を上げて挨拶する。その時初めて今まで無言で硬い表情を作っていた男たちが破顔一笑した。
(ああ、そうか……)
その微笑みに漸く納得がいき、そんなことにまで気がつかなかった自分がいかに余裕を失っているのかを実感する。
ミンディアは中立国だ。その国がコマドリのような攻撃的組織と親しげにしていたらまずいだろう。彼らはあくまで、亡命者に対する事務的態度を取らざるを得なかったのだ。
迷うことなく足を進めるリズの後について、透明なガラスケースの間を進む。どうやらこの資料室は戦争資料館のようだった。ミンディアのみが所持する大崩壊以前の記録だろうか。
薄暗く、だが柔らかなオレンジの光でライトアップされた部屋の中央。その円形に開けたスペースに巨大なオブジェがあった。
巨大な機械の足。
下から照らし出されたそれは、赤茶けた錆に覆われ、胴も手も頭も、対になった片割れさえも無くし、どこか物悲しくシンの目には映った。
「ただ戦闘のために作られた無骨な機械も、時を経れば芸術になる。だが我々はこれをただの芸術品にしてはならない」
突如として響いた朗々とした声にハッとする。
コツ……と静かにオブジェの背後から初老の男性が姿を現す。品良くまとめたグレーの髪に濃いグレーのスーツ。その背はしっかりと伸び、若々しい。
「メメントモリ。『自己の死を記憶せよ。』――このオブジェに名づけられた名前だ。自己の死を認識することで初めて生きることができる、という意味だ。この資料館にある数々の物は、それを我々に再認識させてくれる」
男は柔らかい笑みを浮かべて二人の前に歩み寄り、片手を差し出す。
「お久しぶり、フランツのおじ様」
「リズ君は随分お転婆度が増したようだね。最近の噂は聞いているよ。ひさしぶりだ。元気になったようで何より」
親しげに言葉を交わし、リズと壮年の男性は硬く握手を交わす。
続いて彼はシンに視線を向け、手を差し出した。
「君が審判者のシン君だね。話は聞いている。知っての通りわが国は中立国だから、大したことは出来ないかもしれないが、平和国家君主としてできる限り協力させてもらうよ」
そう言ってミンディア国王は力強く微笑んだ。

 

「失礼します」
ウエイトレスの声に、突然世界に音が戻ってきて、シンは思わず肩を跳ね上げた。その拍子に膝の上においていた本が床に落ち、バサリと音を立てる。
アルバイトらしい少女は、運んできた紅茶ののったトレーをテーブルに置くと、それを拾い上げ、少しはにかんで「どうぞ」と手渡してくれた。
それに「有難う」と咄嗟に答え、本を受け取るとテーブルの上に置きなおす。同い年かもう少し上か。少女は紅茶をカップに丁寧に注ぐと、店内に戻っていく。
(上手く笑えただろうか)
まだ他人との会話がぎこちなく感じる。自分が表情を前に出すのが苦手らしいことには少し前に気づいた。
意識したのはリズやキャシー、コマドリの面々に出会ってからだろう。コマドリの隊員たちはエンジニアも戦闘員も皆それぞれ個性的で、だが一様に明るい。生まれ持った能力の為に迫害を受けたもの、教会の研究所、もしくは同じような他国の研究機関から逃げ出した者が集まって結成した組織にしては、あまり悲壮感を感じないのも指導者のリズ、そして彼女を支える面々の人柄からなのかもしれない。
(今までは表情を意識することも無かった)
姉は何も言わなくても自分の思っている事を理解してくれた。双子ならではの力か、姉の能力か、どちらにしても意思の疎通に不便は無かった。
自分たちの他に研究所に居たのは、生身の体に機械の思考を持った研究員達のみ。彼らにとって自分は姉の付属物のようなものだった。何らかの理由で(おそらくソレは審判者と自分たちが言われる理由でもあるだろうが、シンたちには知らされていない)丁重に扱われはしていたが、姉の様な研究意欲をそそる類稀な能力はシンには無いと彼らは考えていて、それはある一点を除いてその通りだった。
『隠しとおすのよ。その力は、貴方を不幸にするだけなのだから』
(……姉さん)
視線を街並みに向ける。
シンが居るのは宮殿から坂を下った市街地にある小奇麗な喫茶店。そのテラスにある一席。
もう少し坂を下った先には、シンが買い物にいった賑やかな商店街があるが、ここは高級市街地に近いらしい。喫茶店の客層も、せかせかせず落ち着いた雰囲気の人々ばかりだ。
通りの向こうのアイボリーホワイトの壁には緑の葉が蔦を這り、その明るい黄緑の葉を風に揺らして、昼過ぎの店内はシンの他に二・三人の姿しかなく、静かに音楽が空間を包み込んでいる。
ふと、そんな日差しが似合う人物が脳裏に浮かぶ。肘をついて、何をするでもなく外の柔らかな光を見つめる。そんな姿。
本人は友好的に自分に接してくれていた。自身を襲った数々の出来事を気にしていないとも言っていた。
だがそれは違うだろうとシンは思う。
自分の内側を素手でかき回される様な事をされたら、普通は憤死するほど怒るだろう。過去の全ての記憶を読み取られる。それがどんなに恥ずかしい物であっても、全て自分は読んでしまう。
実際、生きるためにカインがした犯罪も、プライドを捨てた行為も、身を売ったその後情けなくて泣いた記憶も全て――自分は読んでしまった。そしてそれに、カインも気づいていた筈だ。
友好的な口調で話す彼の目は笑っていない。何もなかった様に笑いながら、分厚い壁を自分との間に造って、一歩たりともここから先に入るなと暗に言っている。
――幼い頃に無意識に相手の記憶を読んで、ソレを口にしてしまったことがあった。慕っていた研究員の女性の、誰にもいえない過去。無邪気にそれを口にした途端、研究対象であった自分にも優しかった彼女の表情が一変した。
羞恥と驚愕と恐怖と。
その場で半狂乱になって叫びかけた彼女を、姉が『処理』した。殺した訳ではない。ただ、思い出させないようにした。
(半ば……狂わせるのと同じだ)
だが姉がそうしたからこそ、今の自分はこの能力が露見せずにココにいる。
カインの記憶は、ある部分から固くガードされていた。余程の精神力が有れば、読ませないように意志を保つ事も可能なのかも知れない。だが彼はそんなそぶりは全く見せず、完全に素の状態だった。なのに。
読み取れたのは十歳頃までの記憶と、酷く生々しい負の感情と、小さくうずくまる様な、どこまでも深い深淵のような――寂しさだった。
(……困ったな)
静かな場所が好きだ。静かに思考を巡らすには丁度よさそうなこの店で、つい先ほどミンディア国王と話してきた事や、これからどうするかを考えようと思ったのだが、どうやらそれは失敗だったらしい。
浮かぶのは自分が犯した罪の記憶と、未だ昏々と眠る一つ年上の少年の事ばかり。
この空間が穏やか過ぎるせいだろうか。
日差しが優しすぎて自分のすべきことを忘れてしまいそうになる。
これが日常であるかのように錯覚してしまう。
まやかしでしか、ないのに。
ため息を付く。
(……腐りそうだ)
焦燥を内に。安寧はいらない。
忘れるな、この時はすぐに壊れるまがい物だ。
(帰ろう)
この穏やかさをとても好んでいる自分は、今は必要ない。
席を立ち、店をでる。
モーテルに戻ったシンを迎えたのは、先に帰っていたリズの「カイン君みなかった?」という声だった。

 

 

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