EPISODE2: 眠れぬ封術士と安らぎの歌 - 指先の熱

 トスカネル大陸中央に位置する首都ロエナ。その最も中央部にその城はあった。
 トスカネル全土を掌握するトスカネル王国の王宮、ロエナ宮は何棟もの塔を携えた、美しい白亜の城である。巨大な宮殿は堅牢かつ瀟洒な城門で守られ、その内部には幾つもの行政機関や軍事施設が並ぶ。
 その敷地西部にあるロエナ王立騎士団本部にその男の姿があった。
 号令の響く中庭ではない。白亜の宮殿内部にあっても景観を損ねない様に、最低限の配慮がされた騎士団の詰所やセレモニー等も行われる広いグラウンド。それら施設のさらに外れにだだ広く静かな展示棟がある。
 広々とした展示室は清潔に保たれてはいるが、わずかにカビの香りがする。
 酷く高い天井近くにあるステンドグラスから、少し色の褪せた光が静かに差し込み、空気に色をのせていた。
 そのひんやりと冷えた床に男は座り込み、再奥に設置された絵画を見上げていた。
 騎士団設立当時のものだという。幾人もの男たちが畏まった様子で描かれている。集合写真のような物だ。色は描かれた当時は鮮やかだったのだろうが、今は殆ど残っていない。
 その中の一人に先ほど相対してきた男の面影を見て、男――ロキは口に笑みを引いた。
 指先に触れた髪の感触、抱き込んだ体の熱を思い出す。
 そしてその体深くに封じ込まれた数多の力の気配。
(……馬鹿だなあ)
 まるで自分を苛め抜いているみたいじゃないか。と考え、かつての親友の不器用な性分を思い出す。ぶっきらぼうで、決して人当りの良い人間ではない。だが、そのくせ情には厚くしぶしぶといった体で厄介事を引き受ける面倒見の良い男だった。
『約束は守るさ』
 妹を宜しくと言った他愛無い俺の言葉を、ずっと守り続けているのか。それとも、妹と何か約束を交わしたのだろうか。
「……何の用だ」
 ふいに感じた気配に、そう問いかければ入口に影が差した。
「上から通達だよ。騒ぎを起こすなだってさ」
 なんだって、自分がこんなことを言わなければならないんだろうね。
 そう辟易とした様子でごちる男の方を振り向くことなく、ロキは鼻で笑う。
「久方ぶりの再会だ。あれ位派手でもいいだろう。むしろ地味な位だ」
「あれが? グスタフさんの家、半分位吹っ飛んでたんけど」
「ありゃフレイのせいだろ。俺じゃない」
「まあね。というかグスタフさんは殺さないでね、お得意さんを無くすのは辛い」
 食えない狐だ。いや、狸か。
 ロキは片手を背後に向けて振り、出ていけと伝える。
 不満げな声を漏らしながら出ていこうとした男は、「そうだ」と言って足を止める。
「禁呪について教えちゃったよ。クリス君に」
「――――あの男には何の興味もないが? 別段禁呪つかって自滅しようがしまいが知らねえよ」
 怪訝そうにそう答えたロキに、男は笑って一言付け加える。
「身近に魂縛が使える人間がいるって事も付け加えといた。クリス君は良い人だけど、大事な人が亡くなったら」
 どうするだろうね。
「……」
 男の言葉に、ロキは無言で振り返る。
 その闇色の瞳が、ステンドグラスの光も届かない薄暗がりの中ですう、と細められた。

 

「フレイさん、何起きてるんですか!」
 エバンズ家母屋の廊下に響いた声にフレイはびくりと肩を揺らし、「うっせえ」と吐き捨てた。
「ぐうぐう寝てる時間なんてねぇんだよ!」
 そう答えて再度足を進める。体中を這うような痛みと倦怠感に息が詰まる。
 ロキに術をかけられて丸一日昏々と寝込んだ。目が覚めたのは翌日の暮れで、余りの失態にフレイは頭を抱えた。慌てて庭の封呪石の元へと向かおうとし、マナが殆ど使えない事に気付いた。術を使おうとすると全身を酷い痛みが襲う。
(ロキのやつううう)
 すかした笑みを見せる男の姿が脳裏に浮かび、ギリギリと歯噛みしながらフレイは自分自身に掛けられた呪いの解呪を行った。ああでもないこうでもないと、全身の痛みに耐えながらどうにか解呪を施し、漸く部屋から這い出てきたのが今である。
 呪いというのは対象に自分のマナを植え付けることにより発動する。体内に植え付けられたマナが、特定の法則で動作することにより、対象者の術使用を封じたり、思考力を奪ったりすることが出来る。(神聖魔法に分類される回復のスペルも、実は呪いの一種だ。対象者の体内へ送り込んだマナを、対象者が回復するような作用へ寄せてやれば回復スペルとなる。)
 フレイの体に張り巡らされたロキの呪いは強力で、フレイは複雑に絡み合ったマナの法則をじりじりと一つずつ解いていった。複雑な解呪を行った後の疲労感は半端ない。
 だが、目下急ぐべきは体力回復ではなく、庭の封呪石へかかった禁呪の解呪だった。
「寝ていてください。まずは体力を回復しなければ」
 ぐい、とクリスに二の腕をつかまれる。
「回復なんて後でも出来る、離せ!」
 クリスの腕を振り払い、庭へ出るドアのノブを回す。
 初夏の夜の空気は生ぬるく頬を撫でる。
 草の香りと、虫の声。
(急がないと)
 気を抜くと崩れ落ちそうになる膝を叱咤し、封呪石へと足を進める。
「こうやっている間にも、あんたの幼馴染の命は削られてんだ。一刻も早く解呪しないと」
「……っ」
 フレイの言葉にクリスが息を飲み、無言でフレイの後に続く。
「何か、手伝えることは」
 低く、絞り出すようなクリスの声。
「……輝封石を、ありったけ」
 マナの足しになる様に。
 そうフレイは告げ、禍々しい闇色の魔法陣の中央で、ほの暗く光る封呪石に向き直った。

 人一人の命を削りながら施された術は酷く重い。
 亡刻の森で眠りに着くアイリディアを強固に封じていた封呪石は、いまやアイリディアの封印の解除を助ける役目を果たしていた。
 この分だと、フレイが各地に設置した封呪石も同様に解呪され、ロキの手により塗り替えられているかもしれない。
 ロキはアイリディアを解放するつもりなのだろう。それがどんなに危険な事であろうとも、最愛の妹を目覚めさせたいのだろう。
(俺だって)
 出来るものなら彼女を解放したい。
 懐かしい笑顔も、とうの昔に記憶の中で薄れてしまった。柔らかい笑い声も、どんな声だったのか判らなくなってしまった。
 余りに長く生き過ぎて、自分自身の記憶が全て疑わしい。
輝封石を取りに戻ったクリスを待たず、フレイは詠唱を開始した。
 体内に僅かに残るマナではロキの術を解除することは出来ない。なけなしの輝封石を周囲に放ち、マナの補充をする。
キラキラと輝く大小様々な石はフレイの周りに浮かび上がり、フレイが術を練り上げていくにつれ透明な音を上げて砕け散っていく。
 足元から緩く起こる風。見上げた空にありったけのマナを使って魔法陣を描く。
 ロキの施した魔法陣と、フレイの魔法陣が反発しあい、封呪石がバチバチと火花を上げ鳴動する。
 空気が震え、羽根を休めていた鳥たちが飛び立つ。
「これは……」
 庭に戻ったクリスは、その異様な光景に息を飲んだ。
 中空に描かれた巨大な白い魔法陣と、封呪石を中心に描かれた闇色の魔法陣がせめぎ合う様に周囲の空気を震わせていた。
 白い魔法陣を生み出した男の背で、紅く長い髪が風にあおられている。彼自身から、大量のマナが魔法陣に注ぎ込まれているのが見えた。
(死んでしまう)
 いくら輝封石の補助があると言っても、そのマナの放出量は桁違いすぎた。
「っ……!」
 クリスの腕の中にあった輝封石が砕け散る。フレイの元へ吸い寄せられていく。
 空気を震わせながら、ゆっくりと白い魔法陣が封呪石を飲み込み、闇色の魔法陣を押し消していく。
「……あ、ぐ……」
 高らかな詠唱が途切れ、フレイが小さくうめく。
 真白の魔法陣が夜空を一瞬明々と照らし、闇色の魔法陣と共に掻き消える。
 そして数瞬後、封呪石がほわりと白く光った。
(戻った……)
 しん、と辺りが静寂に包まれ、まるで先ほどまでの攻防が幻だったかの様に、元の夜の闇が戻ってくる。
 夏の香りが柔らかな風にのって庭を流れ、虫の鳴き声が静かに戻ってきた。
 そして――
 とさり。
 瞬く星の下に立ち尽くしていた青年の体が傾ぎ、地面に倒れ込む。
「……っ、フレイさん!」
 慌てて駆け寄り、クリスはその体を抱き起す。反動で意識を失ったフレイの首がかくりと仰け反った。封呪石の柔らかな光に照らされるその頬は蒼白で、クリスは慌てて投げ出された腕を手に取った。脈は弱弱しいが、ある。だが、夏だというのにその体は酷く冷えていた。
(ベッドへ……!)
 身長のわりに驚くほど軽い体を抱き上げる。
 するとふるり、と伏せられていた睫が震えた。その瞼の合間から紅い瞳が覗き、うろうろと視線を彷徨わせた後、クリスを見上げてくる。
「フレイさん、大丈……」
 その顔を覗きこみ、声を掛ければフレイがその紅い双眸を見開き、体を強張らせた。
「フレイさん?」
「……っ、降ろせ!自分で動ける!」
 唐突にもがき出したフレイを降ろす。
自力で立ち上がったフレイは、クリスの背をどんと押して「さっさとルディの所へいけ」と怒鳴った。

「きつ……」
 クリスが母屋へ消えるのを待ち、フレイは再度地面に座り込んだ。胡坐をかき、目をつむって回復を待つ。
 抱えて部屋に連れて行くと煩く言うクリスの申し出を断固拒否し、フレイはクリスをルディの部屋へ向かわせた。自分の所でこれ以上時間を取らせる訳にはいかなかった。
 ――――二年。
 解呪が成功したとはいえ、ルディがマナを奪われた期間を考えれば、生存は極めて難しい。だがマナの流出が止まった今、その目が覚める可能性は僅かながらあった。
 彼女に残された時間はごく僅かかもしれない。その時間を最大限クリスに渡したかった。
(――――本当に、どうにもならないのか?)
 生命活動に必要なだけのマナを失っているのであれば、単純に考えれば、それを満たすマナを補充すればいい。だがルディという存在が、病等に倒れなければ残り数十年の人生を生き切るだけのマナなど、どこにあるのか。
 膨大な量の輝封石を集めれば、あるいは何とかなるかもしれない。だが、それには膨大な資金と時間が必要だ。
 数多の生き物から少しずつマナを分けてもらうのはどうか。しかしその術式を考案し編み上げるだけで、相当時間がかかりそうである。またどんな影響があるのかもわからない。
 膝に頬杖を突いてフレイは夜空を見上げた。
 ずっと昔から変わらず煌めく星が、今も静かに瞬いている。
(一つだけ……あるにはある)
 人の一生分どころではないマナを抱えた存在。
(……俺の、俺のマナを使えば)
 自分の体のマナ量なんて知りようがない。だが、時の流れを忘れたこの体になら、ルディの命を支えるだけのマナが内包されているのではないか。

 冷たくなった指先を刷り合せる。
 酷使しすぎたせいか、指先は震え、熱は中々戻らなかった。

 幼馴染のやせ細った指先を、クリスは両の掌で包み込んだ。
「ルディ」
 月明かりの中で静かに眠る彼女の、その虚ろな瞳を見つめる。
「ルディ、もう起きよう。寝過ぎだよ、君は」
 ルディ。
 再度小さく呼びかけ、しばしの逡巡の後、フレイに教わった歌を歌う。
 メロディなんて適当だ。どちらかというと詩の朗読に近い。
 ただ、祈りを込めてその言葉を呟いた。
 口に出してみると、その言葉の連なりはとても柔らかだった。
 焦りにまみれ、部屋に同じ言葉を書き殴った時とは随分と心持が異なるように感じ、クリスは口元に笑みを引いた。
『安らぎを届ける歌だ』
 そう彼が言っていた訳が今ならわかる。
 クリスが見ることの出来ない精霊の存在だろうか。
 ただただ、森の澄んだ空気のような柔らかな気配が部屋中を満たしていく。
 ふいに、ルディの虚ろな瞳が揺れたような気がした。
 ゆっくりと。
 息を飲んだクリスを光が戻った瞳が見遣る。
 そしてルディは、掠れた――だが以前と変わらない声色で「おはよう」といって微笑む。

 その指先には、確かに暖かな熱が戻ってきていた。

 

EPISODE3に続く

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