EPISODE2: 眠れぬ封術士と安らぎの歌 - 安らぎの歌

 カランと控えめに鳴ったベルの音に気付き、アレン=シスレーは机に伏せていた顔を上げた。
「休憩中だよ、札かけてなかったっけ」
「時間はとらせないさ、二つ三つ聞きたいだけだ」
 低く、通りの良い男の声だ。伸びをしながら、積み上げた書類の合間から客人を見遣れば、その男はパンツのポケットから紙を出してアレンに手渡した。
「グスタフの使いだ。グスタフの息子に渡した情報と同じ情報を売ってくれ」
「ありゃ、グスタフさんも動いてるの?何だか知らないけど、めんどくさい事になってるんだねえ」
「いくらだ」
「……五百……や、千ペントだね」
 ひらりと手の平を差し出せば、客人はその整った顔をしかめて見せる。
「高くねぇ?つうか、最初の五百ってのはどこいった」
「別にぃ?いらないならそれでも構わないけど」
 ニヤニヤと笑って「じゃあね」と手を触れば、青年は「経費請求してやる」と苦々しく呟き、「ほらよ」と千ペント札を差し出した。
「まいど! はい、このファイルだよ」
「どうも」
 保管用にコピーしていた物を手渡せば、青年はその場でペラペラとファイルをめくりだす。正直その内容など、アレンよりも客人の方が知り尽くした内容だろう。案の定、つまらなさそうな顔をしながらファイルに目を通す彼は、最後のページでぴたりと動きを止めた。
うろうろとその紅い双眸が紙面の上を彷徨い、じわじわとその頬が赤らむ。
「あ、いいなあその表情」
 苦虫を噛み潰したような顔のまま、怒りだか羞恥だかに顔を赤らめる青年の様子に、アレンは嗜虐心を刺激され、つい本心を口走る。その言葉に、目を見開きこちらを見つめてきた青年は、最後のページに張られた自分の写真ごと、書類をくしゃりと握りしめ、抗議の言葉を口にした。
「――隠し撮りしてんじゃねーよ」

 

 いつ何を言ってくるんだろうかと思いながら、もそもそとフレイは並べられた料理を口に運んだ。
 時刻は十九時を回った頃で、暖かな色をしたライトの中で、エネルギー源である輝封石が鈍く光っている。フレイが通されたグスタフ家の食堂は団員用とは異なり、完全に家人用の様だ。六人用の分厚い木を伐り出したテーブルの奥にフレイ、手前にクリスとグスタフが座る形で三人は席についていた。
 視界にはにこやかに給仕の女性に料理の感想を告げるクリスと、黙々とナイフを使うグスタフの姿。仕方がないとはいえ、なんとも華の無い夕食だと、小さくため息をつく。
が、
(飯はうまいんだよなあ)
 良いもん食ってやがると、口に出さずごちて、どうみても鴨の肝臓的な何かを口に運ぶ。
 それはふんわりと香って舌の上で溶けた。
「そういえば、父とフレイさんはどういった経緯でお知り合いに?」
 不意にクリスから発された問いかけに、フレイとグスタフは無言で視線を交わす。グスタフとフレイが知り合ったのはグスタフが幼い頃だ。だがそれを踏まえた話をしても、受け入れられるとは思えない。
(知り合った経緯ねえ)
 切っ掛けは遥か昔にさかのぼる。フレイはグスタフの何代も前のエバンズ一家当主に頼み込み、幾つもの条件を飲んで、アイリディアを封じる結界の力場の一つとなる封呪石をこの庭に造り上げた。それから何代にも渡って、エバンズ一家は封呪石の守り人としての役目を果たしてくれている。代わりに、破格というよりただ同然でフレイは己のマナをため込んだ輝封石や、魔法具の類をエバンズ一家に提供し続けている。その過程で幼少期のグスタフと知り合ったのだが、それを話しても理解されないだろう。
「輝封石の生成を依頼したんだ」
 フレイの思案をくみ取ったようにグスタフがそうクリスに告げる。
 嘘ではない。
 最近はしばらく交流が途絶えてはいたが、封呪石の設置の許可をもらう代わりに、フレイは先代やグスタフの要望に応えて、輝封石の納品をしてきた。アクリオ行きのサンドトレインでフレイが持っていた輝封石を思い出したのか、クリスは「ああ」と相槌を打つ。
「なるほど、じゃああの輝封石、うちのも同然だったんじゃないですか」
 にこり。
「いや、違うから。全部が全部お前のじゃないから」
 そういえば、なかなか落ちた輝封石を返そうとしなかった事を思い出す。
 この男の前では、軽々しく荷物を広げない様にしよう。そう思った。
 小さな会食は最近の技術発展についてや、フレイの旅先での出来事についてグスタフが尋ね、クリスが相槌を打つという和やかなムードで終わった。
フレイが身構えていた事が起こったのは会食後、フレイが割り当てられた客室に捌けようとした時だ。
「フレイさん、ちょっといいですか」
 ごちそうさんと、食事の礼を言い、ランプの灯った廊下に出たその時、がしりと手首をつかまれた。その手の強さに驚きながら、フレイは自分を捕まえた相手を見上げた。
 フレイはそう背の低い方ではない。そのフレイよりも拳一つ分程も高いクリスは、かなりの高身長に入るだろう。見上げた先で、青い瞳が柔和で、だが胡散臭い笑みを浮かべている。
 有無を言わせないという握力の強さに、小さくため息を付き、フレイはなんだよ、と首を尺って見せた。
「あなたに見てもらいたい人がいるんです」
「……さっき車椅子に載せてた人か? 俺は医者じゃないぞ」
 クリスが押していた車椅子に腰掛けた女性を思い出す。二十代半ば程のブロンドの女性だった。グスタフの話では二年ほど前に倒れ、ずっと寝たきりの生活を続けているという。
両親に先立たれ、身寄りのないところをグスタフに引き取られ、クリスと共に育てられた。エバンズ一家の養女だという。
 とても明るく活発な人物で、恋人関係ではなかったが、常にクリスとは対で動いていた。
 アクリオでのクリスしか知らないフレイにはなかなか信じる事が出来ないが、クリス=エバンズという男は、もともと争いごとを好まないおとなしい人物だったという。
 物を盗むのが嫌い。人を傷つけるのが嫌い。人をだますのが嫌い。人を悲しませるのが嫌い。
 本を読んでいるのがすき。勉強が好き。おいしく紅茶を入れるのがすき。優しい焼き菓子の香りが好き。
 そんなクリスは、グスタフから何を言われても、盗賊団の後を継ぐことを頑なに拒んだ。
 自分よりも、もっと適した人物がいる。
 ルディが倒れる前からそう言い、参謀的な立場を務めてきた。
 ルディが先導役で、クリスは補佐。
 二人で一つのリーダーとして、隊員たちにも慕われていたし、次の世代はそうなるのだと思われていた。
 だが、そんな彼女が二年前突然倒れた。
 肩ほどまでに伸びた髪はくすみ、開いてはいるが何も見てはいない瞳、こけた頬が痛々しかった。
 表情を曇らせたフレイに、クリスは小さく苦笑する。
「医者には何度も見せました。でも、何も判らなかったし、変わらなかった」
 クリスが入手していたファイルの内容を思い出す。あのファイルに記載してあった状態と、あの女性の症状が同じであるのなら……。
 銀髪の青年の顔を見上げればいつもの微笑みの中に、どこか切羽詰った感情が見え隠れしているように見える。その余裕のない様子に、フレイは小さく息をついて意識的に口元に笑みを作る。
「だから違う可能性を、ってことか」
 分った、とりあえず見てみる。
 そう答えれば、クリスは双眸を細め、ありがとうございますと微笑んだ。

 日中グスタフに案内された部屋に入る。庭に面した小さな部屋で、その女性は静かに虚空を見つめていた。僅かに零れる月明かりが、彼女の頬を白く照らしていた。
 ベッドサイドに立ち、様子を窺う。
 眠っていない。だが起きてもいない。何の反応も返さない彼女に、フレイは表情を険しくした。日中にちらりと見た時も違和感を感じたが、突然容態を見たいと言い出す事も出来なかった。ようやくしっかり確認することが出来る。
 だが……
(似ていると思ったが、こりゃあ……)
 アクリオでも見た、禁呪の影響下にある人々と同じ状態である。
 生命活動はあるが、意識は無い。アクリオの場合は日中に人々が影響下に置かれることは無かったが、このルディと呼ばれる女性は違う。
(二年か……)
 彼女に蓄えられたマナを使って、何の術を発動させているのか。すぐに見てわかるものでもない。だが、フレイに言えるのは十中八九何かの術の影響下にあるという事だった。
 人間の体に蓄えられているマナは、人が生きる為の力だ。二年間それを利用され続けていたという事ならば――
(望みは薄い)
「えーと、……クリス」
「あ、はい、フレイさん」
 ベッドの反対側、窓の前に息をひそめる様にして立っていたクリスに声を掛ける。
「フレイでいい。敬語もいらねぇよ。それより……これはお前の勘の通りっぽいな」
「じゃあ、何かの術を掛けられていると?」
「……正確には、術を使うための――言い方が悪いが『栄養源』にされたというべきだな」
「栄、養源」
 繰り返したクリスの瞳に怒りがともる。何かを言おうと数度口を開き、何も言えないまま噤むを繰り返し、漸く一言つぶやく。絞り出すように。
「彼女を元に戻すには……」
「――彼女のマナを使っている術を解呪すればいい」
 そういい、数瞬言いよどむ。
 告げるべきか、告げぬべきか。
彼女を目覚めさせる手を探し続ける為、各地を駆けずり回るクリスへ告げる言葉として、何が正解なのか。逡巡ののち、フレイは真実を告げる事にきめた。真実がどんなに厳しかろうと、一時優しいだけの残酷な嘘よりは良い。
「だが、助かる見込みは殆どない」
「……」
「長期にわたって術の影響下に置かれすぎているんだ。術を解呪することができても、命が、持つかどうか」
 フレイの言葉に男は歪んだ笑みを口元に浮かべ、無言で窓辺にその背を預けた。体をかがめ、片手で自身の髪をくしゃりとつかむ。そしてかすれた声で小さく笑った。
「覚悟は、してはいたんですが」
「……」
 深く長い溜息をつく。
「大本の術の調査はする。元々それの解呪は俺の仕事だからな」
 クリスの返事はない。整理のつかない感情を、どうにか整理しようとしている様が見え、フレイは居たたまれない気分になった。
 夜の闇に落ちる沈黙に、外の庭を風が吹き抜ける音が響く。
 静かな草のざわめく音。
「――クリス、アレなんだけどよ」
 せめてと、徐に壁に描かれた精霊文字を指さす。
「ああ……、恥ずかしいな。彼女が倒れた時、必死だったもので」
 少し言葉を切り、小さく呟く。
「――なんにでも縋ってみようと思って」
「……」
 緩く首を振り俯く男の表情は笑顔だ。だが、その顔に張り付いた笑みは苦々しさを含んでいる。
「……これは歌だから」
「え?」
「歌ってやればいい。書く必要はない」
「そうだったのか……。でも私、……俺は生憎メロディを知らなくて」
「なんでもいい。この言葉の連なりなら。読みが解らなければ後で教えてやる」
 言葉の連なりこそが力だ。精霊への呼びかけとなる。だからメロディなど必要ではない。ただ、言葉に思いを込める方法として、歌が適しているというだけだ。
「安らぎを、届けることが出来る歌だ」
「安らぎ……」
 フレイの言葉に、小さく呟いた男は、ただ、そっと虚ろに眠るルディを見つめた。

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