Episode2: 眠れぬ封術士と安らぎの歌 - 捻じれたまじない

その庭は、どこか幻想的な空気に包まれていた。
緩やかに草を渡る風と、木々の葉が互いに囁きあう音。初夏の香りは瑞々しく、フレイの鼻孔をくすぐり、彼の紅い髪を揺らして裏の斜面へと転がる様に流れていく。
大通りに面した屋敷の裏とは思えない静けさと、外界から閉ざされたある種箱庭のような雰囲気に眉を寄せる。
この空気は、忘刻の森に似ている。
認められた者だけを優しく招き入れ、招かれざる者を静かに拒絶する。そんな余所余所しさ。
「フレイ」
掛けられた声に振り向けば、屋敷の裏口に立つ初老の男の姿が見えた。
「すぐ行く」

木の香りの中に、梁につるした肉や香辛料、煙草等の雑多な香りが混ざりこんだ部屋に案内される。とはいえ、調度品は年代を感じさせるが、どれもこれも良い品で、久しぶりの滑らかな革椅子の感触に肩の力を抜いて、フレイは小さく息をついた。
サンドトレインで水の街を後にしてからは、安宿ばかりに留まっていたためか、柔らかで張のある革の感触が心地よい。
差し出されたカップを無言で引き寄せ、その琥珀色の液体に口をつける。
この紅茶も、爽やかな果実の香りがし、まさか大陸屈指の荒くれものが集う盗賊団で出されたものとはおもえなかった。
「私の前でくらい、そのマントを取ればいいものを」
そう言ったのは、エバンズ一家の棟梁(エバンズ一家の前身はちいさな大工の一族だったらしく、盗賊団となった今でも一族の長は棟梁と呼ばれるらしい)グスタフ=エバンズだ。
「ん、まあ暑いのにも慣れたしな……」
そうフレイが誤魔化せば、グスタフはその鋭い瞳を歪めて笑う。
「大方そのマントも封印の一つなんだろう。それとも、その腕に刻まれた紋様を見せたくないのか」
「……」
グスタフの言葉に方眉をあげ、フレイはマントの中で自身の腕を触る。
半袖から伸びた剥き出しの二の腕。グスタフも気づかぬ程の、一瞬の躊躇の後、フレイはその腕の先を包み込む革手袋を脱ぎ、その指先をグスタフの前にかざした。
「何ともないさ。ほら、な」
傷一つない引き締まった腕が現れる。その肘から指先までを舐めるようにねめつけ、グスタフは小さく鼻で笑った。
「きれいな腕だ。お前の腕にしては」
「……まあ、な」
グスタフの台詞に苦笑を浮かべ、フレイはその腕にまた革手袋をはめ直す。この壮年の男に隠し事は通じないようだ。
「三十年ぶりだが、お前は変わらないな。外見は」
「お前は随分貫禄がついたじゃねえか。いつの間にかきれいな嫁さんと小作りまでしやがって」
にやりと笑って見せれば、向かいに座ったグスタフはテーブルに置いたチーズの小皿を引き寄せ、口元に運ぶ。
「――クリスの事か」
出てきた名前にフレイは無言で眉を吊り上げる。
つい一か月ほど前、なんの縁だかは知らないが、その名の男と水の街で行動を共にすることとなった。
その男の親が、目の前のグスタフだ。とはいえその事実に気づいたのは、この男から手紙を受け取りエバンズ一家に招かれてからだが。
「全然似てないな」
ひと月前に出会ったクリスという男は、体格は良いが顔はどちらかというと柔和な正統派の美男子といった感じだった。それに対して目の前のグスタフは太い腕と広い肩幅を持ち、鷹の様な鋭い目つきをした油断のできない空気を発している。
「あれは母親似だ」
フレイの言葉にそう答え、一口紅茶を口に含んでからグスタフは再度口を開いた。
「――が、性格はああみえて、俺に似ている。いや、俺よりもずっと狡猾だ」
「……へえ、あいつがねえ」
甘いマスクの銀髪青年を思い出す。
確かにその風貌や物腰は一見柔和なものを感じさせるが、笑顔の合間に垣間見せる視線はどこか蛇を思わせるような双眸だった。
愚直かつ頑固なグスタフとは違い、器用で人当りのいい息子は、裏にはやはり盗賊団の跡継ぎとしての鋭さを備えているのかもしれない。
「で、俺を呼んだのはなんでだ? ただ旧交を深めるだけでもないだろ? 大きくなったエバンズ一家をご紹介って訳でもなさそうだし、かといって余ったお宝を恵んでくれるわけでもなさそうだ。」
「ふん、見ないうちに随分おしゃべりになったようだな」
ダンッ!
突然グスタフはテーブルに置いたフレイの腕をその太い片腕で押さえつける。
驚くフレイを矢のような視線で射すくめながら、ゆっくりと皮手袋に収められた指先に自身の指を這わせた。
「なんだよ……」
じわりと撫でるようなその手つきに思わず声が震える。
男の手はゆっくりとフレイの腕から皮手袋を引き抜き、テーブル下に落とした。むき出しになった腕に男の分厚い掌が再度這う。
その指はゆっくりとフレイの指の間に差し込まれ、そっと撫で上げた。指の間に男の熱が伝う。
「この体に、入れたいものがあるだろう」
「…………」
その言葉にフレイは心底嫌そうな表情を顔に浮かべ、吐き出した。
「きっしょ!」

「きもいんだよ、お前いつから俺にそんな気持ち悪い言葉が吐けるようになったんだ、ああん?」
肩をいからせ、ずんずんと我が物顔で館の通路を歩くフレイの後を追いながら「自分も大人になったからな。」と冗談ともつかない顔でグスタフは言う。その言葉にさらにげんなりし、フレイは顔ををゆがませた。
「大人とか! 俺はお前がこんなちっさい頃から知ってんだよ! それがいつの間にかそんなにでっかくむっさくなりやがって。可愛かった頃のグスタフを返せ!」
ぎゃんぎゃんとわめきながら指先で「ちっさい」を形作る。
そのサイズおよそ二センチ。
さすがにそんな羊水に浸かっている頃から知り合いだった覚えはないとグスタフは思ったが、これ以上この封術士の機嫌を損ねるのも面倒だったので無言を貫く。
脇を通る強面の部下たちが、屋敷を我が物顔で歩く紅髪の不審者に掴み掛りかけ、後ろを歩くグスタフに気付いてぎょっとした顔をする。
自分の前をこうも堂々と歩く者など、齢五十を過ぎ大陸屈指の盗賊団の棟梁となった今、そうそういない。そのグスタフの前を歩く男が、いかにも軟弱そうな魔導士姿の男だからなおさら部下たちにとっては違和感があるのだろう。
無言で問いかける部下たちを視線だけで追い払い、グスタフは再度目の前を歩く男の姿を見遣った。
彼は自分が幼いころから変わらない。
ふと気づけば当たり前のように傍にいて、幼い自分に剣を教えてくれたのも、グスタフの母が病に倒れ息を引き取った時に、そっと付き添っていてくれたのも彼だ。
数十年前のセピアの記憶の中で自分を子ども扱いする彼も、今目の前で悪態をつきながら五十を超えた自分に接する彼も、何も変わらない。変わったのは腰よりもさらにのびた紅い髪。それだけ。
その不思議に成長したグスタフが気づく頃、青年はエバンズ一家から姿を消した。
(気づかれるのを恐れていたのかもしれない)
そうグスタフは思う。
自分より若い姿をした年上の青年は、幼い自分の前から姿を消したように、今もその変わらない姿に気づかれる前に、親しくなった人々の前から姿を消しながら旅を続けているのだろう。
お前の姿について、俺は何も言わない。
そう、彼に宛てた手紙にしたためた。
だからこそ今、フレイはこんなに悪態を突きながら、あの頃と変わらず自分と会話ができる喜びをかみしめている。
(大人になったんだ。お前の苦しみを察することができる程度には)
そう、グスタフはその鋭い瞳を少しだけ細め、青年の背を見つめた。
その気配に気づいたのか青年は振り返り、仏頂面のまま僅かに照れたような表情を見せる。
「で、見せたいものってのは、どの部屋なんだよ」
微妙な沈黙を潰そうとするかのように発された言葉に頷いて、グスタフは突き当りの部屋を指さした。
「母の部屋だ。そこに入ればわかる」

柔らかな光の差し込む小さな部屋。窓の外には、先ほどフレイが見て回った静かな庭が広がっている。
窓際に置かれたベッドは抜け殻で、少し前まで人が寝ていた痕跡があった。木のぬくもりを感じさせる木張りの壁には、いくつかの写真が飾られ、その中には幼いクリスやグスタフ。そして今は亡きグスタフの母の姿もある。
だが問題なのはそこではなかった。
「……これは」
 フレイは眉をしかめ、部屋全体を見回す。
部屋の隅々に描かれた文様。柔らかな光の中で一瞬気づかないが、木張りの壁一面に、複雑な文字がみっしりと描かれていた。
「まじないだ。お前は知っているだろう」
「……ああ、これは俺がお前に渡したものだ」
指先でなぞった文字は、確かに覚えのあるものだった。
「そうだ。母の、死の間際だった」
グスタフの言葉に頷き、当時を思い出す。
病にかかった母をどうにか助けてほしいと、幼いグスタフ少年に言われ、フレイがせめてもの気休めにと渡したまじないの言葉。それは安らかに眠れるようにと精霊の歌を文字におこしたもので、死に向かう者をこちら側に引き戻す効力等無いに等しい。
ただ、心に安らぎを与えるだけの言葉。
それでも言葉に宿った精霊たちは、その歌をグスタフの母に向かって優しく歌った。
ほんの僅かだとしても安らぎが得られたら良い。そんな思いを込めた言葉だった。
「それを、何で……こんなに」
みっしりと描かれたその優しいはずの言葉は、部屋を埋め尽くすように描かれどこか狂気を感じさせた。
「クリスと会ったと言っていたな」
「ああ」
振り返ればグスタフがその精悍な顔をわずかに歪ませる。
「これは、クリスが書いたものだ」
「あいつが――?」
頷く。
「これだけではない。あいつは今、ある人物を助ける為に禁呪を探している」
「……っ」
息を飲む。
「その体にいくつもの禁呪を封じて生きてきているお前なら、その意味が分かるだろう。……あいつが禁呪を探し当て、使うその前に」
――あいつを止めてくれ。
「――何を、……しているんですか」
穏やかな声に振り向けば、そこには車いすを押す銀髪の青年の姿があった。

 

 

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