EPISODE2: 眠れぬ封術士と安らぎの歌 - 邂逅の朝

 もう、遥か遠い昔の記憶である。
「フレイ、早く!」
 ふわふわと柔らかい亜麻色の髪を揺らしてアイリディアが手を振った。あまりに無邪気なその様子に苦笑して、フレイは彼女の進む方へと足を向ける。
 柔らかな木漏れ日が差し込む森は、木が茂ってはいるがとても明るい。菜の花で囲まれた人二人分程の細い道を、彼女を追って歩く。常春のような穏やかな気候に、眠気を誘われながら、少しの蒸し暑さに騎士服の首元を緩めた。
 腰まである柔らかでふわふわとした髪と、抜けるような白のしなやかな肌。長い睫に縁どられ、キラキラと輝く大きなハシバミ色の瞳。彼女の華奢な体を包むのは若草色で、所々に桃色の花とレースをあしらった華美過ぎないドレスだ。
 精霊たちに誰よりも愛されるエルフ族の姫。それがアイリディアで、平民の出で、トスカネル王国国立騎士団の従士でしかないフレイは本来合う事どころか、言葉を交わす事すら望めない人物だった。
 忘刻の森に住まう森の民たちとの同盟を結ぶため、中央から派遣された小隊に、まだ入隊したばかりのフレイが配属され、この森の警備についたのが数か月前。長閑すぎる程長閑な森の入り口の警備に明け暮れ、もともと気の長い方ではないフレイは退屈で死にそうになっていた。そんな時「ねえ、暇そうだね」と話しかけてきたのがアイリディアだった。
 何度となく散歩に連れ出そうとする彼女に、最初の内はかしこまった口調で「職務がありますので」と返していたフレイも、毎日毎日話しかけられれば、畏まった態度を取るのも面倒になる。なによりその対象であるアイリディアがかけらも気にしない為、ここ最近では口調も砕けて、雑談しあえる友人関係に収まっていた。
 何よりアイリディアは、外見こそ可憐な少女の姿をしているが、二十歳になったフレイの倍ほどの年月を生きていて様々な知識を有していて、彼女の持つ雑多な知識はとても新鮮だった。
「私の兄も帰ってくるの。フレイにも紹介したいのよ。きっと気が合う筈だから!」
 追いついたフレイを振り返り、アイリディアは花がほころぶ様に微笑む。
 数年もの間森を離れ、人間たちとの折衝を取り仕切っていた人物だという。いわばアイリディアの一族の若きホープだ。
(そんな奴と会話が成り立つとも思えないけどな)
 そんな事を考えれば、フレイの想いを読み取ったのか、アイリディアはにんまりと笑った。
「お兄ちゃんはね、凄い剣術馬鹿なのよ。フレイも好きでしょう?」
「……へえ」
 エルフと言えば、精霊に愛された種族である。アイリディアも含め、フレイの知りうるエルフたちは皆、精霊術や召喚術に強く、剣はあくまで補助として利用するものが多い。
 そんな中、アイリディアの兄は剣技にとても秀でているという話で、魔術だとか精霊術の類はからきしだが、剣技なら少しの自信があるフレイは、アイリディアの兄に少しばかり親近感を覚えた。
(手合せはできないにしろ、少しは面白い話が出来るかもな)
「兄ちゃん、なんて言うんだ?」
 二人並んであぜ道を進めば、集会所になっている巨木が見え、その前の広場に馬に乗った十数名のエルフの姿が見えた。
 凛とした佇まいの一団。その帰郷を歓迎する人々の姿と声。
 その中に一際存在感を放つ青年が見えた。
 ぬばたまの艶やかな黒髪が、涼しげな切れ長の目元に掛かっている。しなやかな体躯は、質素だが彼の体に合った藍色の服に包まれていた。
滑らかに白い馬から降りた青年は、こちらに気付くと柔らかく微笑む。妹とは色合いの異なる、だが妹と同じ長い睫に縁どられた瞳の色は、深い宵闇の色。
「ロキよ、ロキお兄ちゃん」
 フレイの問いかけに答えたアイリディアは、そう笑って兄の元に駆け寄った。

 抱き込まれた背中から、冷えた空気が伝わってきた。
 この男が何故ここにいるのかという疑問と共に、こいつはまたこんなに体を冷やしたのかという感想が浮かび愕然とする。
 あの日々から数百年どころじゃない年月を経ているというのに、昨日の事だったかのような感想が浮かんだ自分に驚いたのだ。
 フレイの顎を片手でとらえ、背後からフレイの紅い瞳を覗き込んだロキは、その紫がかった切れ長の瞳を細め、どうしたんだよと笑う。
「そんなに驚いたか?」
 耳元で囁かれる、笑みを含んだ声に、思わず背筋が強張る。背筋を這うような震えに思わず息をつめた。
「どう、やって。何故――何故お前が」
「……」
 フレイの問いかけに返答はなく、ただ何かを思案するような気配がした。そして数瞬の空白の後、「さあな」と笑う。
「お前に教える義理はねぇな」
 そういってロキは、触れる肌の感触を楽しむように、フレイの顎から首へ指先を滑らせる。詰襟の淵から指を刺し込み、そのまま耳朶まで指を滑らせると、頬の横で揺れる紅い髪をそっとつまむ。
「綺麗な紅だ。だが、紅すぎるな……そんなに腹が減っているのか」
「……お前には関係ねーだろ」
 ロキの言わんとすることに気づき、フレイは悪態を絞り出す。元々フレイの髪の色は紅ではない。栗色の髪が長い年月の間に少しずつ染まったものだ。
『この体に入れたいものがあるだろう』
 そうグスタフが言っていたのは卑猥な挑発でもなんでもない。実際フレイは放置出来ない禁呪は全て『食べて』来た。自分の体に全部が全部を封じてきている。その影響なのか、平凡だった茶の髪は、いつの間にやら禍々しい紅だ。昔のフレイを知るロキが髪を執拗に気にするのも当然かもしれない。
 緊張に強張ったフレイの髪を弄っていたロキは、嘲りなのか、苦笑なのか解らない小さな笑い声をこぼし、徐にフレイの肩口に顔を埋めた。突然の事にさらに全身が強張り、フレイは息を飲んだ。
 懐かしい動作に気を緩めてはいけない。
 この男は酷く危険で、敵なのだ。
 いつでも攻撃を加えられるように、じりじりと腰の剣に意識を集中させる。無詠唱で発動できる程度の呪文など、この男には効かない。剣の一閃の方が速い。
 だがそんなフレイの思惑などお構いなく、男はフレイの肩口に顔を埋めたまま、うっそりと呟く。
「本当にお前は馬鹿なことやってるなあ。髪も腕も腹も、どこもかしこもぐちゃぐちゃじゃないか」
「――っ、やめろ!」
 腰を抱き込む掌が衣服越しにフレイの腹の文様をなぞる。その指の感触に隠しようの無い震えが全身に走り、思わずフレイは腰の剣を抜き背後に向けて鋭く一閃した。
「おっと」
 その攻撃を余裕の動作で交わしたロキは、笑ってフレイから距離を取る。
「触られたくないって?まあそんな淵までギリギリの状態じゃ、ひょいとした拍子に零れちまうかもしれないな」
 これから町へショッピングへと言ってもおかしくない、シンプルな白地のシャツに黒の皮パンという酷くラフな格好をした男はそういうと、「さあて」と呟きおもむろに指先でフレイに向けて円を描いた。
「っ!」
 無詠唱で描かれた魔法陣の周囲に、瞬時に巨大な氷の槍が具現化する。その数数十。
 慌てて横へ転がり逃げたフレイの元いた場所に、地響きを挙げて鋭い氷が突き刺さっていく。間髪入れずに迫りくる第二弾を剣で受け止めはじき返しながら、フレイはロキとの距離を取った。
 静まり返っていた周囲が騒然としだす。
 グスタフの部下たちが何事かと母屋から走り出て、この非常事態に周囲を取り囲みだした。
「反応が鈍いぞ、フレイ。鈍ったんじゃないのか」
 矢継ぎ早の攻撃を紙一重でかわし、攻撃の隙を探す。だが余裕の笑みを浮かべる男に一分の隙も見あたらなかった。
「なにもんじゃお前はあああ!」
 (なっ……!)
 不意に視界に入り込んだ影に、一瞬フレイの反応が遅れる。ナイフを握り飛び込んできた影は騒ぎを聞きつけて集まってきたグスタフの部下のひとりか。
 ロキの瞳が楽しそうに細められる。殺される。
「くそ、ひきやがれっ」
 慌てて駆け寄りその男を蹴り飛ばす。その一瞬をついてフレイを目掛けて矢が放たれる。防護壁を張る余裕もない。
(――!!!)
 当たるのを覚悟し身構えたその時――
 ギイインと何かが軋むような音とともに、フレイの目の前で氷の矢が四方に砕け散った。
「……えっ」
「ちょっと、何やってんですか貴方は!」
 あきれた様にかけられる声。目の前に張り巡らされた細いワイヤーの光。
(あの一瞬に、これで砕いたのか?)
唖然として声のした方を見やれば、母屋の裏口から塗れた髪にタオルをのせたクリスが歩み寄ってくるところだった。

 時刻は数刻ほど遡る。
 ルディの寝室で打ちひしがれるクリスを尋ねたアレン=シスレーが持ってきたのは、日中依頼した調査の、調査報告書だった。紅の髪の魔導士について、さらに詳しい調査を依頼していたのだが、その調査報告書を早くも出来たらしい。
大通りに面したエバンズ家と、アレンの事務所は大して離れた距離にない。数分あればたどり着けるため、買い物ついでに歩いて渡しにきたと彼はいった。
依頼したのは午後三時過ぎだから、まだ半日ちょっとしか経っていない。なのに渡された資料は十数ページにもわたり、随分早いんだなとクリスは驚いた。何でも、元々気になって調べを進めていたのと、情報提供者が見つかったため、早く済んだという。
こんな需要のなさそうな情報を持っている人物をよく見つけられたなと感心すれば、アレンは得意げに「蛇の道は蛇っていうでしょ」と笑った。
(フレイ=エウリノーム。男性。外見年齢二十五~八――)
 一旦自室に戻り、スーツからグレーの麻のTシャツとパンツという楽な格好に着替える。部屋の奥のベッドに座り込み、報告書の一ページ目を捲ればそんな文字が飛び込んできた。
 背後の窓から差し込む月の光だけで十分明るく、書類をその光に翳して読み進める。
(身長百七十五センチ前後、体重不明、スリーサイズ……なんだこれは)
 スリーサイズを知ってどうするんだとアレンの報告書に突っ込みを入れる。いやな予感がし、ぱらぱらと資料を捲ってみれば、どこからどう集めたのかいくつものフレイの画像がちりばめられていた。
 あまり目立ちたくないのだと言っていた。意識的に帽子やらフードやらを被ってあの綺麗な髪を隠そうという努力をしている様には見えるが、写真の殆どに一人で食べるのだろうかという量のスイーツが載っているところを見ると、髪の色などとは別の面で目立ってしまっているのが伺えた。
(幸せそうに食べてるなあ)
 どこかのカフェだろうか。クリームがこぼれそうなシュークリームを頬張る画像では、きつい印象を受ける眦が緩んでいる。
 どこにでも存在するマナを利用し、映像や文字情報を受信できるコミュニティサービスが最近にぎわっているが、写真の画質だとか、被せられた文字などをみるに、そのサービスを介して、目撃者から配信された画像のようだった。
(『……魔導士風の術具を身に着けており、過去の交戦情報でも術の使用が散見される。無詠唱での魔術利用や術発動までの時間が非常に短いことから、高度な 魔術知識と理解をもつものと思われる。だが一方で剣技にも長けており、破天荒ともいえる荒々しい魔術とは異なり非常に綺麗な型の技術を持つ。その型は継承者が途絶えた為今は潰えたラコリス流に近い。』)
 最初の方のページはクリス自身も知っている内容がやや詳しく記載されている。アクリオでの落ち着いた様子を見てもかなり荒事には慣れている様子で、一人でバジリスクを退けたりしている様をも見ると生半可な力では到底彼には勝てそうになかった。
(『禁呪使用情報と、当該人物の目撃情報がほぼ一致し、いくつかの事件では実際依頼を受けてその解呪を行ったとの情報も有り。以下に禁呪使用事例とその解決結果を列挙。詳細は後述の各項目を参照』)
 黙々と報告書に目を通す。禁呪の使用結果だけあって、死者が出ている者が多く、陰鬱な気分になる。復讐の為、家族を犠牲にしてマナを集め、禁呪によって村一つを消滅させた男の話。肉親の愛を求めた孤独な少女が、人心を操る術を自らの命を削って使用した話。一つ一つに術者自身や術者の身近にいた人間の命が犠牲になっており、そのどれもが彼が訪れた後、その効力をなくしていた。
アクリオの事件は死者が出ていないだけに、まだ幸せな結果だったらしいと感慨深く感じながら事例を読み終われば、最後に補足資料と記載された資料が添付されていた。
『魂縛法』
 一気に胡散臭さを増す資料に自然と眉が寄る。
(これは……)
 複雑な魔方陣とその理論。必要となる条件などがこと細かく記載されているそれの最後の項目に、
 まるで料理のレシピの一項目であるかのようにその項目は記載されていた。
『命:一人分 もしくはそれ同等のマナ』
 思わず二度見し、見間違いでないことを確認してクリスは深く息を吐き出した。
 これはまごう事なく禁呪の解説書だ。そしてその内容は、誰か1人の命を利用することで、死者の命を蘇らせる方法の様だった。
 一通り目を通し、別室にいるルディの事を考える。
 あの命が限界を迎えた時、この方法を知ってしまった自分が何をするのか自分の事であっても想像が出来ない。
 ふと、部屋の中に青白い光が差し込んでいることに気づく。
 窓から差し込む光は月の光から朝日に変わっていた。熱中して読み込んでいる内に夜は明けてしまったようで、クリスは苦笑するとシャワーを浴びに立ち上がった。
 大きな地響きが敷地内に響き渡ったのは、そのすぐ後のことである。

「俺、寝不足なんですよ」
 クリスは不機嫌そうな顔でそうのたまい、「どなた様ですか?」とロキを見てからフレイに問いかけてきた。シャワーでも浴びていたのだろうか。銀の髪がぬれ、部屋着らしいラフな格好をしている。かっちりとしたスーツを見てきたせいか、ラフな格好で髪を書き上げる姿は逆に男くささがあった。
「えーと」
 クリスの問いかけに何と答えればいいのか判らず、数瞬言いよどんだ後フレイは一言「敵だ」と答えた。「解りました」と答えたクリスが不機嫌そうな表情のまま、右腕を脇へはらう。すると、ドンという鈍い音と共にロキの足元の土草がはじけ飛ぶ。数本の強靭なワイヤーが放たれたのだと理解すると同時に、さらに鋭くロキ目掛けてワイヤーが放たれる。ワイヤーなのに一撃一撃が酷く重い。
 唖然とするフレイの目の前で、ロキは楽しげな空気を纏ったままその攻撃を避け距離をとっていく。
「なんだあ?間男か?」
「てめっ、ふざけんな!」
 気色悪い事をいうロキを思わず怒鳴りつけ、フレイは体制を立て直し、呪文の詠唱に入る。クリスが時間を稼いでくれている。編み上げるのは人が使える魔法の中でも最強といわれる極大魔法の一つ、巨大な炎の竜だ。詠唱を終えると共に足元に浮かび上がった紅いの魔方陣から紅い炎が竜の姿を模して頭をもたげる。
 驚き逃げ惑う人々の声。ロキはクリスの執拗な攻撃に、対抗出来るだけの術を編み上げる時間などない。
 ちりちりと頬を焼く炎に自然と笑みが浮かぶ。思いっきりのやつをくれてやる。
「――いっけええええ!」
 フレイが振り下ろした手の合図に、紅い竜は勢いよくロキに襲い掛かった。
 轟音と爆風。
 悲鳴と熱風。
「っ……、やったか……?」
 この呪文でも一撃で倒せるとは思ってない。だが、ダメージを与えることは出来たのではないか。
 轟々と紅い炎を上げ着弾地点が燃え上がる。ロキの姿は炎に飲まれたのか見えない。
 だが、
「っ……!!」
 不意にクリスに腕を引かれる。次の瞬間フレイの立っていた場所に黒い光を帯びた爪が突き立ち、爆音と共にフレイの放った炎が弾け消滅した。いや、――瞬時にして黒い炎に塗り変わった。
(喰われた……!?)
 封呪石の魔方陣同様、術が書き換えられたのだとフレイは理解した。精霊に愛された森の民の、頂点に位置した男だ。全てがあの男に味方しているような、桁違いの魔力。
「なんなんですか、あの人」
 よろめいたフレイを支えながらクリスが悪態をつく。その声に被せるように、「面白いなあ」と、笑う低い声が響いた。
「本当はお前を連れていくつもりだったんだが、――まあ目的は達成したしな」
「何を……」
 突然体を襲った鋭い痛みにフレイの膝が折れる。
「アッ……!?」
「フレイさん!?」
(……これは……)
 腹部から全身に伝わる這うような痛みに息を詰め、フレイは堪らずうずくまると、痛みに絶えながら歯噛みした。体中の力が抜け、視界が霞んでいく。眦に涙がにじむ。
(あの時か……っ)
「ちくしょ……」
 体が竦んで動けなかったあの時、ロキの指が腹部をなぞった事を思い出し、フレイは自身の不甲斐なさに小さく罵声をこぼした。
「お前に色々と動かれると面倒だから、ちょっとばかし退場してろ。」
 ゆっくりと、何事もなかった様に黒い炎の中からロキが姿を現す。
 そして一瞬、ほんの一瞬だけ、フレイをどこか凪いだ視線で見つめ、一言「じゃあな」と言って自らの支配下においた炎をこちらに返す。

 クリスがフレイを抱えて飛び退り、視界が開けた頃にはロキの姿は跡形もなく消えていた。

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