EPISODE2: 眠れぬ封術士と安らぎの歌 - 闇色の腕

 静かにドアが閉まる音をして、クリスは顔を上げた。
 客人に気を遣わせてしまったと、自重しまた深く息を付く。だが先ほど告げられた言葉を、頭は理解していても心がついていけていなかった。
 二年。
 長いとも短いとも取れるこの時間で、どれだけルディの生命力が消耗していっていたのか、毎日見てきていたクリスには分っていた。
 どれだけ点滴を打っても、筋力が低下しない様に尽くしても、やせ細っていく体。
 明るく活発で、クリスに発破をかけながら引っ張ってくれていた彼女の面影は、どんどん薄れていき、やせ細っていった。
(最後の会話は何だっただろう)
 窓辺に腰掛け直し、静かな部屋に視線を向ける。フレイが先ほど出て行ったドアがオレンジ色のランプにゆらゆらと照らされている。
 毎日夕方に行っている団員点呼を、先ほどフレイたちと食事をした部屋の隣にある大食堂でした。連絡事項を確認し、解散。エバンス一家は盗賊団といっても、かなり組織化されている。グスタフの代になってからはより顕著で、勢力範囲にある各地の調整役としての役割も担っていた。どこどこの自治体でもめ事があると調整役として入る、等である。
 ルディが倒れた日も、そんな会話を幹部陣でし、解散した後だった。
 男勝りな彼女だったが、花を育てるのが好きという意外なな一面も持っていた。
「私、ちょっと花を見てくる。かなり大きくなってるつぼみがあってね、もう少しで咲くかもしれない」
「ああ、そうなのか? 行ってらっしゃい」
 風が強いから、気を付けて。
 それが最後に交わした会話だったと思う。
 その後花畑で意識を無くしたルディが見つかり、それからずっとこの状態だ。
(もう手は無いのだろうか)
 ルディの力を奪っている術を解く。それだけでは消耗した彼女を救う事ができない。
 ならばその消耗を補うだけのマナを、彼女に与える事が出来ればいいのではないか。
(そのマナはどこから得て、どうやって彼女に送ればいいのかが問題か)
 不意にコン、と背後の窓が音を立てた。風に窓に何かあたったんだろうかと振り返れば、再度コンコン、と音が鳴る。窓を誰かが叩いているようだ。
「クリスの旦那、ここあけてくれよ」
「あなたは……」
 窓を開けると、つい数時間前に尋ねた情報屋の主人が、口元に笑みを載せて立っていた。

 

 大通りにでて、正面から改めて見ると、やはり大きな家だなとフレイはその広がる敷地を見渡した。朝早い為、まだ通りに人気もなく、静かな朝の空気の中で、時折早起きな鳥の声が響く。
 フレイの身長よりもさらに半身分程大きい、聳え立つ門。その先にはエバンズ家の広大な敷地が広がっている。
門を入り、緑の木々や花が咲き乱れる石畳を進んでいけば、奥の端が見えない程の巨大な二階建ての母屋が。分厚い木でできた扉を潜ると、荒くれ者たちが集まるエントランスや、大食堂、会議室。地下には武器庫や食糧庫。グスタフは教えてくれないが、そのどこかには宝物庫もあるのだろう。
 母屋の奥には彼の縁者の住む別宅が数件立ち並び、そのすぐさらに奥に広々とした庭園があった。フレイが数日前訪れた際に使ったのは庭園側にある裏口だ。
 エバンズ一家の大門から堂々と入るのは目立ちすぎるし、そもそも庭側から訪れ、別宅にいる先代を呼んだり、幼いグスタフを呼ぶのが昔からの習慣だった。
(さて、どこから手を付けるかな)
 昨晩のうちにグスタフに敷地内を調査する許可をとった。クリスに約束した、禁呪の探索とその解呪である。
 あからさまに禍々しい空気を発していてくれれば探索する側としては助かるが、基本的に禁呪とは秘めるべきもので、秘められたものである。だから、遺跡の奥深くに設置されたり、地下で秘密裏に行われるもので、発見が難しいものが多い。
 だが、ルディの症状が禁呪の触媒として使われたものである以上、二年前にこの付近で禁呪が使われたという線が濃厚だった。
(何をやった?)
 腰のベルトに括り付けた小さな皮鞄を漁り、飴色に光る輝封石を取り出す。(ちなみに服装はグスタフの部下が選択しておいてくれた、普段から着ている青い詰襟と黒のパンツだ。皮のマントは邪魔なので外している)親指の爪程の大きさの石。その石にふっと息を吹きかけると、活性化されたマナが石の中で輝きだす。
 朝の光の中でも眩く輝きだしたそれを、「よっ」という掛け声と共に空中に放り投げる。
 真上に投げたその石はキラキラと輝き、そして澄んだ高い音と共に砕け散る。
 その瞬間、その光は四方に散らばり辺り一帯をほんの一瞬眩く照らし、そして消えた。
一瞬の光だ。母屋の中から漏れ聞こえる団員達の声にも、特に変わりはなく、変に警戒された様子もない。
「ここら辺は何もなさそうだな。」
 ぐるりと辺りを見回すが、意識に引っかかる反応も特になく、フレイはまずは母屋から、と自分が先ほどまでいた母屋に足を進める。
フレイが今行ったのは、ちょっとした探査魔法だ。自身のマナをため込んだ石を四方に巻くことで、自分以外の人間が行った魔術反応を検知する。魔術反応とは、魔術を行ったその残り香の様なものだ。
 戦場などであれば、様々な反応が検知されてしまい、探査どころではないが、エバンズ一家はもともと魔術からは縁遠い一族だ。さほど多くの反応は見られない。
屋内に入れば、一瞬フレイの元に視線が集まる。数名の武骨な男たち(盗賊というよりも無口な職人的な空気を感じるのは、やはり元が大工だからか)が思い思いに武器の手入れをしたり、何かの資料に目を通している。だが、昨日からの若い客人を見遣るグスタフの部下たちも、グスタフから連絡が言っているのか今日は何を言ってくる事もなく、ただ屋内を堂々と歩くフレイに視線を向けるだけである。
(母屋ではなし……か。)
 母屋内をぐるりと回ってみたが、結局特に気になる反応は無く、フレイはため息をついた。引っかかった反応と言えば、武器庫や宝物庫らしき場所から感じた魔法具らしき反応ばかりで、特に危険な気配は感じない。
 そもそも何故こんな場所で禁呪を使う必要があったのか。ここでなければいけない理由は何なのか。
 術者がこの場所に生活拠点を置いているのか。
それとも、この場所に術を使う目的があったのか。
(……目的……?)
 不意に嫌な可能性が脳裏を横切り、フレイは足を止めた。
 母屋裏口へ向かう廊下の窓から見える、庭に目をむける。
認められた者だけを優しく招き入れ、招かれざる者を静かに拒絶する。そんな余所余所しさを持つ箱庭。夏の香りを瑞々しく湛えながら、よそ者が奥へ踏み入る事を拒むような沈黙を持つ庭。
(よそ者は誰だ。)
 去来した一つの疑念にフレイは駆け出す。裏手のドアを勢いよく明け、視界一面に広がる幻想的な庭に駆け込む。
遥か遠き過去に、この地にフレイ自身が設置した封呪石が、広々とした庭の中央に鎮座している。四本の巨木に囲まれ目立たないが、見上げんばかりの大きな岩だ。この石に封呪を施したのは自分だ。だから、この場所は自分の力場だと思っていた。
だが……。
 はやる気持ちを抑え、鞄から輝封石を複数個掴み取ると宙に放り投げ、指先で中空に巨大な魔法陣を描く。先ほど行った探査魔法よりもより強力なそれは、白い軌跡を描き空に複雑な文様を描くと、次の瞬間重い振動と共に禍々しい闇色に塗り替わった。
 重圧、鳴動、そして、死臭。
(よそ者は俺かっ……!)
 空を覆わんばかりの巨大な闇色の魔法陣を見つめ、フレイは息を飲んだ。自分が編んだものではない、異質で他のすべてを排斥するような存在感。圧倒的な威力を持ってそれはそこに顕在していた。
「綻びは、ここだったのか……」
 忘刻の森で気づいた泉に混じる呪いの色。どこかの封印が解けかけているのは分っていた。だが、『解けかけた』なんて生易しいものではなかった。
 フレイの術が解呪され、アイリディアを封じるものではなく、『解き放つ』ものに塗りかえられている。
(じゃあ、ルディが触媒にされたのは)
 ――――俺のせいか。
 フレイが設置したこの石を奪う為であったのなら、彼女はその犠牲になったのだ。
 なんてことを。俺は、クリスになんて言えば。
 目の前に広がった事実に打ちのめされる。
だが、この闇色の術を誰がやったのか考える間もなく、その『存在』は姿を現した。
「――――ああ、見つけてしまったか。お前に気づかれない様に慎重に隠したつもりだったんだけどな」
 ふいに響いた声に、思わずフレイはその身を固くした。
 振るえる喉で息をのむ。
 脳髄に響くような、低く甘い声。じわじわと浸食する麻薬のような、酷く性質の悪い声。
「な、んで……」
 全身に走る緊張に喉が嫌に乾いていくのを感じながら、フレイは信じられない思いで、やっとそれだけ口にした。
 もう、遥か遠い昔に死んだ男だ。優しかった日々の終わりに、自分が殺した男の声だった。長すぎる放浪の日々に、思い返す事もないと持っていた声色。だが、その声は聞き間違えようもなく、あの男の物だと判った。判ってしまった。
「――ロキ……」
「ああ、綺麗な紅に染まったなあ、フレイ」
 竦んで動けないフレイを後目に、笑みを含んだ声色が背後から近づき、その指先がフレイの紅い髪を掬い取る。長い髪の毛先に口づける気配に慄き、フレイはその身を強張らせた。
振り返れ。振り返らないと。
 だが行動に移す前に背後から伸びた腕がフレイの首元に回り、自身の胸にその体を引き寄せる。
「久しぶりだな、フレイ」
 覗き込むように見下ろしてきたその瞳は、狂気を湛えた闇色だった。

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