EPISODE3: 泣けない封術士と過去の棘 – アイリディア

「ん……」
 断続的な振動に、意識がゆっくりと戻る。泥に沈むような眠りから目覚めたフレイは、視線の先で青空が揺れているのをぼんやりと眺めた。
 列車の中だ。
 少し前にアクリオへ行く為に乗った、砂埃で喉がイガイガとするサンドトレインではない。視線だけを巡らせて把握できたのは、自分が乗っているのが、綺麗に掃除され、個室があるタイプの列車だという事だった。
(血税で働いている癖に、なんでこんな良いやつに乗ってるんだ)
 対面席に置かれた鞄がみえ、その鞄に縫いつけられた騎士団の紋章を睨みつけて、フレイはそうごちた。
 体が動かない。腕を挙げようとしても、足を動かそうとしても、まるで自分の体ではないかの様にピクリともしない。鉛の様に思い体は、何かに凭れ座らされている様だ。
 両手首に冷たい感触を感じ、緩慢に視線をやれば、両手首同士を銀色の腕輪で固定されていた。いつもはめている皮手袋は脱がされている。割と幅のある腕輪の側面に描かれているのはルーン文字で、恐らくフレイを拘束するとともに、フレイの術も封じているのだろう。
しかしその拘束された腕よりも、さらに嫌なものが目に入り、フレイはげんなりとした。
 見えたのは人の足だ。黒い皮パンを履いた嫌味なほど長い脚が、自分の足を両側から挟むように伸びている。腕輪をされた自分の手首付近を再度見直してみれば、そこには自分の腰をしっかりと抱く二本の腕があった。
「……起きたか」
 耳元に流し込まれたその声色に、息を飲む。
「……腹、直してやったぞ」
 腹に回っている片方の腕が、フレイの上着の裾を捲りあげる。鍛えてはいるが、肉付きの薄い貧弱な自分の腹の、へその右横に真新しい薄桃色の傷が見えた。すでにそれはふさがっている。ロキが直したのか。
「何で、こんな状態なん……」
「逃げられちゃ困るからな」
「だからって……これはねぇだろ。簀巻きにするなりして床にでも転がしとけよ」
 緩慢に紡がれるフレイの文句に、座席に座り、後ろからフレイを抱き込んでいるロキが小さく笑う。
「つれねえなあ。昔は嫌がらなかったじゃねぇか」
 フレイの肩口に顔を伏せ、ロキはそのまま少しだけ腕の拘束を強めた。居心地の悪さに身じろぎしたくても出来ず、ため息をついてフレイは体の力を抜いた。自然ロキの肩口に後頭部をのせる様になり、仰のいた視界の先で、後ろへと流れていく窓の先の景色を眺めた。
 あまりにも遠い昔の出来事なのだから、思い出せなければいいのに、キラキラとした思い出は自分の中から消えることは無い。アイリディアの笑顔も、自分を大事そうに抱いていたこの男の腕のぬくもりも、
(終わった事だ)
 目覚めて間もないロキにとって、あの輝きはつい昨日の事かもしれないが、自分にとっては遠い、遠い過去の話なのだ。たとえ、鮮明に覚えていたとしても。
(――終わった事だ)
 感傷を打ち消す様に、そう念じて意識を切り替える。
 今この列車が走っている場所がどこだかは判らないが、向かっている場所ならわかる。アイリディアが眠る亡刻の森だろう。あの場所にたどり着く前に逃げ出す必要があるが、この状態では逃げようにも逃げられない。
「――――お前、悪食になったもんだなあ。甘いもんだけじゃ満足出来なくなったのか」
「……」
 ぼそりとロキが呟き、緩くフレイの腹を撫でる。
 昨晩ロキの前で見せた召喚の事か。
「甘いもんじゃなくても、喰わなきゃいけない時があるんだよ」
「……馬鹿だな、ほんとに」
「……ロキ?」
 静かなロキの声からは何の感情も読み取れず、唐突に不安に駆られる。座らない首をなんとか回し、自分の肩口に顔を埋める男を見る。艶やかで真っ直ぐな黒髪がさらりと流れ、伏せられていた顔がフレイの方を向く。切れ長の、宵闇色の瞳が髪の合間から覗く。
近い。
「ロ……」
 名前を呼ぼうとした唇を、唇で塞がれる。背中伝いにロキの体温を感じる。そして、しなやかな筋肉の躍動も。
「ふ……っ」
 差し込まれた舌が上唇をなぞり、ぞくりと背筋を這い上がる感覚に思わず瞼を伏せる。
 腹に置かれていた骨ばった両手が、申し訳程度に割れた腹筋を一つ一つ辿る様に抑えながら、上へあがってくる。
「……うあ」
唇が解放されたと思えば、耳の下の薄い皮膚を執拗に舐められ、フレイの息に甘さが混じる。ロキの指先が明確な意図をもって、肌をなぞっていく。
体の脇を腰から胸にかけてなぞるのは止めてほしい。ぞくぞくと体に走る震えに、眉根を寄せ、乱れそうになる呼吸を殺す。
「……お前、このままじゃアイリディアと同じになるぞ」
「……」
 ロキの言葉に瞼を上げる。睫にいつの間にか涙が絡んでいて視界が不鮮明だ。
「お前が、腹の中のもんを止められなくなったら、俺が封じればいいのか。アイリみたいに、綺麗な結晶にしまってやればいいのか?」
「……ロキ?」
「そんなのは……ごめんだ」
 耳元でつぶやかれた、感情を押し殺すような震える声は、熱に浮かされたフレイにもしっかりと届く。
(そんなこと)
「そんなこと気にすんじゃない」と言おうとした口は、再度ロキによって塞がれてしまい、何も伝えることが出来ない。
動けない体へ与えられる愛撫に、ひたすら熱が籠っていく。
「……ふ、う」
 延々と絡められる舌先が溶ける様で気持ちいい。
 動けないのだから、どうしようもないのかも。
(いやいや、それは無い。無いわ)
 完全に流されかけて、慌てて否定する。
 これでは自分の股がもの凄く緩い様ではないか。
「うう、う!」
 なけなしの根性を総動員して、フレイはロキの舌を思い切り噛んだ。

 つかれた。すぐにでもベッドにダイブしたい。
 そう考えながら、アレンは人気のない大通りを、自宅兼事務所を目指して歩いていた。街並みは白い朝日に照らされている。昨晩の大騒動なんてなかったかのようだ。
 とはいえあれだけの騒ぎが起きたのだから、一時ロエナ宮周辺は騒然となった。今も厳戒態勢が敷かれているあの場所から何とか抜け出し、漸く帰路につくことができた。一睡もしていない。へとへとである。
 騎士団一団は、どうにか捕えたフレイを伴い、つい先ほどにロエナを発った。二十時発と言いながら結局翌朝になったのは、体制を立て直すのに時間がかかったからである。容赦なく破壊活動を行った封術士の前に、部隊を再編制せざるを得なかった。
 あの煩い副総長に動向を迫られたが、目的地の共有は終わっているし、ロキは既に一度その場所を訪れているから、自分が行く必要はないといって、アレンは丁重に申し出を断った。
 道案内は情報屋の仕事ではない。
(ゆっくり寝よう……)
大通りに面した急な階段をのろのろと上がり、事務所のドアを開ける。ホッとする雑然とした我が家にネクタイを緩め――そしてアレンは自分の社長椅子に誰かが座っている事に気付いた。
嫌な予感しかしない。
「ああ、お帰りなさい。お邪魔してます」
くるりと椅子を回して彼はアレンへと向きなおる。
銀髪の青年は凄みのある笑みを浮かべ、アレンを出迎えた。

不帰の森はトスカネル大陸の遥か西に位置する辺境にある。
大陸中央部にある首都ロエナから西に向かう列車に乗り、ひたすら何度も乗り継ぎを行い、十数時間。列車を降り、最近ようやく普及しだした自動車をチャーターし、さらにそこから数時間岩場の覆い悪路を進む。すると漸く見えてくるのが視界の端から端を埋める巨大な森林地帯である。
森があまりに深く、遭難する者が多い為、付近に僅かに点在する集落では、「不帰の森」として恐れられている森だ。
部隊の目的地はその森の最深部。
もはや伝承等でしかその存在を知られていない「亡刻の森」。
(どう逃げる……)
 不帰の森へ車はどんどんと近づいている。
フレイが居るのは、舗装されていない荒野を走るジープの中だ。おまけに自分の隣にはきっちりロキが居座っている。そして前方にも後方にも、兵士たちが乗るジープが連なっている。
(舌噛んだのはまずかったか……)
 いや、自分がされた事を考えれば、金的位はしておけばよかった。いや、あの体勢じゃできなかったけれども。
列車の中で無体を働かれ、必死の抵抗をしたところ、フレイの抵抗に無言でロキは切れた。それ以来四六時中、延々拘束されている。
 何度となく逃げる算段をするが、余りの隙のなさに、男の本気度が窺える。
(チャンスはジープを降りて森へ入ってからと……)
 手首を拘束する腕輪を見る。
 アイリディアを解放するその時には、この腕輪は外されるだろう。その瞬間がねらい目か。
(――――アイリディア)
 何度となく見上げた物言わぬ微笑みを思い出す。
 彼女はずっと封印し続けなければならない。
でも、出来る事なら――――もう一度会いたい。
 この気持ちは恋心や友情とは違う、もっともっと特別な関係なのだとフレイは思っている。
一番しっくりくる言葉は何だろう。
『ねえ、私はこんな力でみんなが争うのを見るのは嫌。お兄ちゃんも、フレイも、お母さんも、お父さんも、裏のおばさんも、フレイが紹介してくれた人間の友達も、みんな大事』
『人間や精霊や、エルフ全てを守るっていうとあまり実感がわかないのだけど、身近な人をみんな守りたいっていうのは、私の素直な気持ちだわ』
『私に封印すればいいの。私はものすごく愛されているから、森の精霊たちが守ってくれる』
『ちょっと寂しいから、時々会いに来てね。私たちだけの秘密よ』
 ねえ、これって、共犯者みたいじゃない?
 そう言った彼女の輝くような笑顔を思い出し、思わず笑みが浮かぶ。
『なんだそれ、笑いごとじゃないんだぞ』
 ものすごく重い事を二人で決めたのに、そんな事を言い出す彼女がおかしくて、思わず二人で笑い合った。
(駄目だな)
 彼女の封印を解いてはいけないのに、解きたいと思っている自分がいる。
 刻々と近づく森を眺めながら、フレイは小さくため息をついた。

丁度その頃、クリスとアレンもジープに乗って同じ場所を目指していた。運転手は目の下に隈を作ったアレンである。
少し前に出発していた騎士団に追いつく為、クリスはエバンズ一家の力を総動員した。
守秘義務が、と渋るアレンの前に、彼の睡魔が吹っ飛ぶ程の金も積んだ。
出会ってさほど経ってもいない男の為に、そこまでする必要があるのかと言えば、衝動的にとしか言いようがない。
あとは、思いのほかフレイの事が好きになってしまった家族たちが、さっさと助けに行けと煩かったのもある。「私も行くわ」「俺も行く」と煩かったルディと、盗賊団の団員達のテンションを、クリスがまるっと引き受け、アレンの首根っこを摑まえ家を出てきた。
「クリス君、俺は無茶だと思うなあ。あの男には勝てないよ」
隣でぼさぼさの頭を書きながらアレンがいう。目の下には隈がくっきり綺麗についている。
「あの二人はそもそも桁違いすぎるよ」
そうだろうなとクリスも思う。あんな最高峰レベルの二人の闘いに首を突っ込んでみたら、命が幾つあっても足りなさそうだ。
ただ、クリスはそれでも自分がどうにも出来ないという気はしなかった。
彼らの剣技はかなりのレベルだが、自分のワイヤーもそれに劣っていない気がしている。
そして彼らが扱う巨大な術については、勝てる算段がクリスにはあった。
「俺、術の類が本当に昔からからきし駄目でして。フレイさんにも『才能ない、諦めろ』と言われたんですよね」
「それじゃ、フレイさんを凌ぐロキには太刀打ちできないじゃないか。諦めなよ。関わらない方が身のためだよ」
 よし、帰ろう。
 そういうアレンの手を「いえいえ、このままで」とハンドルに抑えつける。
「ただね、そもそも俺、どうも精霊に嫌われているみたいなんですよ」
 それも、全力で。
「はあ?」
 何を言っているんだとアレンが怪訝そうな顔をする。
 極端である事って、それはまた一つの能力ですよね。
 そういってクリスは笑った。

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