EPISODE3: 泣けない封術士と過去の棘 – 亡刻の森

 
 夜も更けた頃、漸くフレイたちは森の入り口に着いた。
 騎士たちがぞろぞろとジープを降り、輝封石を燃料にしたランプをともしつつ、隊列を作る。
 先にジープを降りたロキは、フレイを座席から抱き上げると、そのままその肩に担ぎあげた。
 成人男性の体一つ担いで、深い森に入るなんて正気の沙汰じゃない。
 腕は後ろに回され腕輪で固定され、どうにか動く足をばたつかせて降ろせともがけば、一旦降ろされみぞおちに一発喰らった。
 色々とちょっかいを出してくる癖に、容赦がない。
 それでも、さすがに抱えられていくのは有りえない。恥ずかしすぎると拒否すれば、面倒になったのかロキはフレイの手を握ることで良しとしたらしい。手首を拘束された状態で歩きにくいことこの上ないが、自分の足で歩けるようになっただけましだった。
 何度も通った森の中を黙々と歩く。鬱蒼と茂った薄暗い森。仰ぎ見る程高い木々は、樹齢数千年以上のものばかりで、夜空は欠片も見えない。
「お前も会いたいだろ、目覚めたアイリディアに」
 そういうロキの言葉に心が動かなかった訳ではない。
 だが、目覚めたアイリディアが、果たして以前のアイリディアなのかというと、確証は全くなかった。もはや力を入れただけの器になってしまっているかもしれない。
 彼女の自我が残っている確証など何もなかった。
 後ろを振り返り、ざくざくと草を踏み分け進む隊列を見る。オレンジのランプの明かりが点々と後ろにつながっている。
 足を進めるにつれ、次第に森の空気は変わり始める。
 闇に沈み、魔物や動物が息をひそめる森から、精霊たちの気配が色濃くなる。突然ランプの光が消えたり、足元を救われるものが出てくるのは、人間の侵入を精霊が拒んでいるせいだ。
 ロキだけは何の妨げも受けず、黙々とフレイの手を引いて歩いていく。ロキの目的はアイリディアの解放だ。利用した兵士たちが幾ら脱落しようと、知った事ではないらしい。
 背後から彼らのリーダーがあげる怒鳴り声が聞こえるが、それも完全に無視している。
 やがてツタの生い茂る緑の壁が見えてくる。森の端の様に見えるその前で足を止めると、ロキはその緑の壁をそっと押した。
 途端、目の前の蔦や木々は左右に開き、そこには仄かに光る苔の道が現れた。
 アイリディアとの約束があるからこそフレイが通る事を許される道を、ロキは難なく通っていく。
 シャラララ……と、透明な音を立て頭上から森の破片が零れ落ちてくる。
 どこからか流れる水の音が聞こえ、アイリディアが眠る湖が近づく。
 足元の鉱石が光り、木々の葉を青や紫に揺らめかせる。
 後ろについてくる兵士たちもその光景に、ある者は感嘆し、ある者は怯えながら足を進めていく。
 ブーツのつま先がキラキラと澄んだ音を立て、足元がいつの間にか透明な水に浸っている事に気付く。水底に沈んで、足を進める度に音を鳴らすのは、細かく砕けた森の膜。クリスタルの欠片だ。
 やがて進む先に一際白く輝く何かが見え、フレイは無意識に足を止めた。ロキが振り向き、促す様に強く腕を引く。
 木々が生い茂る空間を抜け、視界が開ける。
 そこには幻想的な湖が広がっていた。どこまでも澄んだ空気の中、中央に鎮座する巨大なクリスタルが、水面の光を受けてキラキラと輝く。
 足首程までの水の中を進み、ロキはフレイをそのクリスタルに押さえつけた。
「……っ」
 クリスタルを隔て、目の前に少女の微笑みがあり、フレイは思わず息をのんだ。
 ロキの腕がフレイをクリスタルに押さえつけたまま、後ろに施されていた腕の枷を解除する。
 途端、弾ける様にフレイは腕を跳ね上げ、振り返ってロキの顎を蹴りあげようとした。だが見越していたのか、難なくその足首を掴まれ、水の中に引き倒される。その衝撃で水を飲みこみ、フレイは激しくむせた。
「……大人しくしてな、フレイ」
 すぐ終わるから。
 そう囁いたロキが、再度フレイを引き起こし、ドンとクリスタルに押し付けた。
「……何を」
「お前に封印を解けって言ったって、解かねえだろ。だから、お前を使ってお前に掛けられた封印を俺が解くんだよ」
「あぐっ!」
 ロキの言葉の意味を理解する前に、フレイは自身を襲った衝撃にその背をのけぞらせる。
 その背中にロキの手のひらが押し当てられたと同時に、フレイの体を中心として、巨大が魔法陣が発現した。
 紅く発光するそれは、フレイの苦悶を現すかのように不安定に、だが激しく明滅する。
「う、ぐ、あ、あ、あっ」
 すべてを押し出されるような圧迫感。
 全身をぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような感覚に、フレイは声もなく目の前のクリスタルに縋りついた。
(こいつ……っ、気づいて……っ)
 フレイと、アイリディアが行った事に。何故フレイが生き続けているのかに。
「お前とアイリは、互いに封印をかけあったんだろう。お前はアイリにマナを封じて、アイリは自分の命をお前に封じたんだ。だからお前は死ねないし、アイリはずっと眠り続ける」
「……っ――やめろ……っ」
 アイリディアの封印はフレイ自身と連動している。
 フレイはアイリディアを巨大なマナと共に封印し、アイリディアは自分の命をフレイに封印した。
 「アイリディアの命を使って」フレイは永遠を生きている。
 アイリディアが眠り続ける限り、フレイは永遠に生き続ける。
 そうなる様に、アイリディアがフレイに封印をかけたのだ。
 アイリディアがアイリディアの命を使ってフレイの『魂を縛っている』から、フレイは死なない。
 魂縛法は、後悔しか生まない。身を以てフレイは知っていた。
 二人の術は連動している。
 アイリディアがフレイに掛けた術が破られれば、フレイは永遠の命から解放され、アイリディアも解放される。
「あっ、あ……っ」
 思考が霞んでいく。
 ロキの術がフレイを通してアイリディアの封印を解除していく。
 目の前がチカチカと明滅して、堪え難い吐き気に体から力が抜ける。
 けれど崩れ落ちることは許されない。
 ロキの腕によってクリスタルに縫い付けられたまま、アイリディアが自分に掛けた封印が描き変えられていくのをフレイは感じた。
 酷い蹂躙だ。
 狂いそうだ。
 こみ上げる怒りや、アイリディアが解放される焦りに思考が焼き切れそうだ。
 気を抜けば叫びだしそうな絶望感に歯を食いしばれば、不意にどこからか自分を呼ぶ声が聞こえた。
「フレイさん!!」
 再度自分を呼ぶ声が聞こえる。
(えっ)
 なんでここに。
 額から伝い落ちてきた汗だか、溢れた涙だかで霞む視界の先に、見覚えのある姿を見つける。逸れた意識を引き戻す様に、ロキがフレイに掛かった最後のスペルを強引に描き変える。
 いやだ、やめてくれ。
「あ、あ、あ、あああああっ!!!」
 全身を苛む強烈な刺激にフレイが叫んだ次の瞬間、高く澄んだ音を立ててクリスタルは砕け散った。

 クリスは体中を襲う激痛にうめき、目を覚ました。起き上がるとぼたぼたと体から血が零れていく。全身を鋭い何かで切りつけられたかのようだ。少女を覆っていたクリスタルの破片だろうか。
 意識を失っていたのはほんの数秒だろう。
 余りの衝撃に、その場にいたもの全員が吹き飛ばされたようで、辺りを見渡せば兵士や騎士たちがうめき声をあげて辺りに倒れていた。
 ロキも例にもれず、膝をついている。
 ただその中で一人だけ、アイリディアの前に立つものがいた。
 透明な、悪意も善意も感じ取れない、ただただ透明な瞳をした美しい少女は、全ての精霊に祝福され、クリスタルの破片を身にまといキラキラと光り輝いている。
 長い髪を靡かせふわりと空中に浮くその姿は、さながら天使でもあるかの様だった。胸に刺さっていた長剣は、解放の際に抜け落ちたのか湖に沈んでいる。
 そのアイリディアの前に、満身創痍の青年が立っていた。
 消して浅くは無い傷を負ったその体は、それでも真っ直ぐに立って、目の前に浮かぶ少女を見つめていた。
「あ……」
 青年の唇がふるえ、小さく声を発する。
 ア イ リ デ ィ ア。
 泣きそうに顔を歪めて。
 懐かしい微笑みを浮かべるその少女に、彼はその腕を伸ばした。
その場面は、そこだけ切り取れば運命の再会にも見えたかもしれない。
  満身創痍の青年が、それでも姫を助けに来た絵にも。
 だが、そんなに優しく甘い話など展開される訳もなかった。
 青年が伸ばした腕が指先からちりちりと焼け焦げていく。
 青年が目を見張り、そして絶望に顔を歪める。
 少女の体が膨れ上がり、全身から光が迸る。
(まずい!)
 マナが欠片も使えないクリスの目にも、その体から迸るマナの奔流が見えた。それだけ濃度の高い力の放出。
 森が、空間が焼け爛れていく。
 そのエネルギーの中心で、意を決したように、青年が何かを叫ぶ。
 その瞬間、彼の中から現れた「何か」が、辺りを白く埋め尽くした。

 アイリディアの命がアイリディアに戻っても、アイリディアは帰ってこなかった。
 そこにあったのは、ただの力の器。
 巨大な力を封じなおすには、巨大な力を持たなければならない。
 アイリディアの体に、最初にマナを封じた時は、彼女を愛した多くの精霊の命が犠牲になった。
 ただの人だったフレイにはそうはいかない。
 だから、フレイが長い年月を重ねながら行ってきたのは、自身の体にマナを蓄積していく事だった。
 禁呪を探して、禁呪を自身の体に封じて生きていく。
 禁呪は人の命分の巨大なマナを使って編み上げられた術だ。それを自身に封じていけば、マナはどんどんフレイの体に蓄積されていく。
 だからひたすら禁呪を喰って生きてきた。いつか使うその時の為に。
 ため込んだ力を使って、再度アイリディアを封じ込む。
 呪文を紡ぐ度に、少女の体がまたクリスタルに飲まれていく。
 白く解ける光の中で、彼女の命を掴み取る。
 また、いつか彼女が目覚める時まで、自分の中に封じ込む。
 クリスタルに包まれつつある、アイリディアの頬を指先でなで、フレイはごめんと呟いた。

 
 目の前の光景に誰もが息を飲んだ。
 焼け焦げていく空間。
 燃え上がる炎の中で、青年が発した光。
 マナの解放を始めた少女の体が、その光に覆われ、再び輝くクリスタルに包まれていく。
 青年がその頬を撫で、何かを呟き、仰のく。
 その体が意識を失い水面に倒れ込む。
 少女を包み込んだクリスタルが、また静かに湖で眠りだす。
 

 誰もが沈黙するその中で、銀髪の青年が最初に異変に気付いた。
 どくん、と、意識を失った青年の体が震える。
 次の瞬間、その体から浮き上がった魔法陣から黒い影が躍り出た。
 それも、次々に、何体も。
「あれは……」
 ロキが呻き、剣を構える。
 フレイの中に封じられたマナでできた魔物だ。
 主人の術が緩んだすきに、その体内から這い出てきた。
 二頭の黒山羊。猛々しい角の生えた馬。形すら成していないどろどろとした憎しみを纏った生き物。
 すべて人々の嘆きや欲望を糧に、人の命を犠牲にした禁呪で造り上げられた魔物たち。
 どれもが憤怒にまみれ、辺りに猛全と襲い掛かった。
 兵士たちが悲鳴を上げ逃げ惑う。
 ロキが精霊に呼びかけ応戦する。
「フレイさん、起きて!」
 フレイの元に駆け寄ったクリスが、その体を抱き起し揺さぶった。こんな状況では、いつフレイ自身に魔物たちが襲い掛かるか解らない。
「……っ」
 数度激しくその体を揺さぶると、伏せられていた睫が震え、フレイが意識を取り戻した。
「よかった、動けますか」
「……あ、ああ」
 クリスの言葉に頷き、辺りの様子に頬を強張らせる。泉が火に飲まれ、黒い獣たちが獰猛な唸り声をあげて跋扈している。
 まさに阿鼻叫喚といった体だ。
「封じなおさないと……っ」
 フレイはその状況に戦慄し、勢いよく立ち上がる。
だがその足元はふらつき、ガクンと膝がおれた。
 その姿が魔物たちの目に入る。
 一斉にその意識がフレイに向く。
 紅い獰猛な光。
 背筋が総毛立つ悪寒。
(――やばい)
 喰われる。
 魔物たちがその見上げる程巨大な体躯を躍らせる。
 研ぎ澄まされた爪を、前足を、フレイに向けて振り下ろす。
(かわせないっ!)
 目をつむり、迫りくる衝撃に備える。
 次の瞬間、フレイの体は何者かに抱え込まれ、湖に倒れ込んだ。

「……っ、っ」
 いつまでたっても襲ってこない痛みに、ゆっくり瞳を開く。
 さらり、と銀色の髪がフレイの頬に落ちてきた。
 クリスの体がフレイを抱え込むようにして湖に倒れている。
 なんてことを、とフレイは絶望感に声もなく喘いだ。
 かばったのか、俺を。
 俺が放った魔物で殺してしまった。自分が、彼を。
 どうすればいいのか解らず、自分を抱え込むようにして蹲る男のスーツを握りしめる。
 唇がわななく。驚くほど途方もない喪失感に背筋が凍る。
 クリスの体を掻き抱いて、自分を抱いてピクリとも動かないその体に縋りつく。
「あ、あ……っ」
 狼狽え、辺りを見回す。何故か辺りが静まり返り、自分たちを見ていた。
「……きえ、た」
 誰かが呟く。
 消えた?
 その言葉にフレイは緩慢に辺りを見回す。違和感。
(……えっ)
 魔物がいない。自分たちに襲い掛かったはずの魔物が。
「えっ」
 今度こそ、戸惑いが声にでる。
 不意に、フレイが手を回したその大きな背中が動き、その体が起き上がる。
「……っっっ!!!!」
 驚きに茫然とし、口をあけるフレイの前で、ふう、とクリスが息を付いた。
 そしてしゃがみこむフレイの体をぽんぽんと叩き、「ああ、大丈夫そうだ」と笑う。
 水色の瞳が優しく細められて、いつの間にか涙に濡れていたフレイの瞳を覗き込んだ。
「おや、フレイさん、目が零れそうですよ」
 そういう男の体にはクリスタルで切れたらしい細かな傷はあるが、獰猛な魔物に抉られたような巨大な傷が一つも見当たらない。
「おま……。え、なんで。えっ」
 何と聞けばいいのか浮かばずに狼狽えるフレイに、スーツに掛かったクリスタルの破片を振り払いながら「ああ……」とクリスは笑う。
「前話したじゃないですか。昔から術の類がからっきしだったって。ほんと受け付けないんですよね。使うのも、使われるのも」
「だからね」といって胸を張る。
 ああいうマナでできた魔物って、何の影響もないんです。
「むしろ打ち消しちゃう位で」
 凄いでしょう。
 そういってクリスは満面の笑顔を浮かべた。

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