EPISODE3: 泣けない封術士と過去の棘 – 黒山羊

「一刻も早く手に入れたいのだ」
 そう言った壮年の男は、トスカネル王立騎士団の副総長だった。副総長と言えば聞こえはいいが、その外見は普段一体何を食べているのだろうという位、恰幅の良い体型をしている。ひがな日銭を稼ぎ、つつましく暮らしているアレンの二倍以上の横幅だ。
「もう所在は掴めていますし、ロキが言うには、ちょうど弱っている所だそうですよ」
 とアレンは笑みを浮かべ、その男をなだめる。
 権力に魅入られたこの男が目を付けたのは、事もあろうか古の伝承と、文献だった。
 なんでも巨大なマナを封じた宝石が、とある辺境の森に眠るという。
 そんな眉唾物の話、だれが信じるのかと笑えば、真実かどうかお前が調査しろとアレンに依頼がきた。それが数年前の事である。
 おとぎ話としか思えない話だ。だが、副総長には何故か確信があるらしく、絶対にある筈だと言って、どんと金をデスクに積んだ。
 金を積まれては受けない訳にはいかず、しぶしぶ調査を始めたアレンだったが、驚くことにその数か月後には、それらしき森を発見するに至った。現地の人間に「帰らずの森」と呼ばれる広大な森林地帯である。
 だが、その森林地帯を歩き回れど、一向にそれらしき場所には行き当たらず、延々迷った末に、へとへとになったアレンは一度ロエナに戻った。
 とりあえず報告を、と騎士団本部に足を運び、そこで顔を突き合わせたのがロキと名乗った青年だった。
 協力者として副総長に紹介されたその男は、ぬばたまの黒髪と、切れ長な瞳。一目でアレンの報告に鼻息を荒くする副総長とは、格の違う男だと判った。
 部屋の壁に寄り掛かり、静かにアレンの報告を聞いていたロキは、森の下りになると伏せていた瞳を開いた。そこで彼は、森を守る結界の解除が必要である事、そして封印された宝石を解放するため、封印した術者を探し出す必要がある事をアレンたちに伝えた。
 森を守る結界の解除は既にロキが行っている最中だった。
 騎士団にも術者はいるから手分けすれば良いと副総長が言えば、皮肉めいた笑みを浮かべ、ロキは「アイツの術は俺にしか破れない」と笑った。
 アレンが引き受けたのは、術者の捜索だった。
 ロキからの助言は、禁呪に関する伝承を調べる事。そこに必ず探している男の影があると彼はいい、根気強く眉唾物の伝承を漁るうちに、其れらしき人物の情報が見分けられるようになった。古い伝承では、悪魔だとか聖者、さすらい人や鳥等といった表現で描かれていたが、年代が現代に近づくにつれその存在は、具体的な身体描写や、写真といった形で見つかる様になった。
 その男の現在の所在を掴みロキに伝えたのが二週間程前。その場所は偶然にもロキ自身が結界解除の為、二年程前に立ち寄った場所だった。
まだ結界の解除が完全に終わっていなかったが、術者は自分の封呪石の異変に気付いたようで、ロキが直接その解除を妨げ、術者の足止めを行った。
「本当に、その男を得れば宝石の力を得る事が出来るのか」
「ロキが言うには、そういう話ですけどねえ」
 息巻く副総長に適当に答える。どうやらかなり騎士団内での立場が悪くなっているらしい。一刻も早くとらえに行くのだと言って聞かない男に、アレンは「功を焦ると、失う者も多いですよ」と告げる。だが忠告は空しく、男はワイワイと騒ぎ立て、翌々日後には術者の確保と、森への進行が決定した。

 ロエナ王立騎士団の本部中庭には、数十名の兵士が集められていた。
 今年十七になったハンナも、医療班の一人として今朝方召集がかかった。
 今回の任務内容は二つ。
 一つはある重要人物の確保。
 もう一つはそれに関連する「あるもの」の護衛だというが、末端のハンナには詳細は明らかにされていなかった。
 まずは重要人物の確保の為、部隊はその潜伏先へ進行する。
 そしてその人物を拘束した後、そのまま護衛物が安置されている場所へ出発する。
 第一の作戦決行時刻は本日二〇〇〇時だ。
「なんだってこんな急に」とぶつぶつと文句を言いながらも、急ぎ藍地に金の縫い取りのある騎士服に、医療キットを詰め込んだ鞄を斜めに掛け、中庭へ集合する為、官舎内を走る。
 廊下にまで這い寄るのは、じめじめとした夏の空気だ。日は少し前におち、ライトの付けられた廊下はオレンジ色に光っている。
 窓の外に視線をやれば、続々と同僚たちが集まりつつある様で、その事に焦ったハンナは彼女に向かって手がのばされた事に気付かなかった。
 ぐい、と腕を引かれ、開いていた部屋の中に連れ込まれる。叫ぼうとしたが、それよりも前に口を塞がれた。
「ごめんな」
 耳元に囁かれた声にぞくりとする。若い男だろうか。柔らかなテノールだ。
「大丈夫、危害は加えないから。ちょっとお宅のボスに用があって」
「……」
 早鐘の様に鳴る心臓を落ち着かせながら、男の言葉に頷く。
「一緒に、あそこまで行ってくれるだけでいい。俺の欲求を飲んで貰えたら、すぐ解放するから」
 男がハンナの口元を抑えた手とは反対の腕をのばし、中庭を指さす。皮手袋に包まれた腕。腕を前にだした拍子にサラリと長い髪がハンナの前に流れ落ちてくる。目が覚める程紅い髪だ。
 ハンナの背中に当たっているのは、恐らく剣の柄だろう。
 震えそうになる呼吸を沈め、こくこくと頷くハンナにその男は「有難う」といい、背中を押して外へと誘導しだす。
 ゆっくりと中庭に出る。男は騎士団の敷地内で人質を取るなんて大それたことをしたにも関わらず、とても落ち着いていた。上目使いに顔を見上げると、少し上にその口元が見える。ハンナの身長は百六十だから、男の背は百七十五程あるのだろうか。ちらりと見えたその口には笑みが浮かんでいて、男の余裕が感じられる。
「ハンナ、そいつは……」
 既に集まっていた同僚たちが、ハンナの後ろの人物を見てか、ざわりとざわめく。
 その中にこちらを凝視する副総長の姿が見え、ハンナは立ち止まった。
 怖い。早く助けてほしい。
「あれえ、これは驚いた」
 不意に聞こえた場違いな声に視線を向ければ、ここ数年出入りしていた情報屋の姿が見えた。

「……お前か、盗撮野郎。人の至福タイムを覗き見しやがって」
 ハンナの後ろから侵入者の男――フレイは毒づいた。あそこまでおやつタイム写真を集められると非常に居心地が悪い。
「どんなタイミングでも食べてるのはあんたでしょ」
 心外だと肩を竦め情報屋――アレン=シスレーは肩を竦めた。
 確かに食べていたかもしれない。でももう少し気を使って写真を撮ってくれてもいいんじゃないだろうか。もっとかっこいい場面とかもあったはずだ。多分。
「丁度君の所へ行こうとしていたんですよ。ですよね、副総長さん」
 アレンの声にその隣で顔を白黒させていた副総長とやらが、漸く復活する。突然の事態に対応できないというのは、長としてどうなのだろうかとフレイは心配になる。
 軍部は存在しても、国境線の警備だとか、時々暴れる魔物の掃討位しかしていないお飾り騎士団である。こんな風に侵入者が入り込むことなど無かったのかもしれない。
(それにしてもお粗末だけど)
「要件を言わせてくれ。ロキに会わせろ。話がしたい」
「貴様の要求を呑む必要がどこにある」
「おいおい、俺は人質とってんだぞ」
 不安は的中し、恰幅の良い副総長は事も有ろうにフレイの要求を撥ねつけてくる。腕の中で人質にした少女が体を強張らせるのが解り、フレイは申し訳ない気持ちになった。
(こりゃだめだ)
 この男は部下を助ける気はさらさらないらしい。呆れている内に、男は回りの部下たちにひっとらえろと号令をかける始末で、戸惑いながらも数十人の兵が剣を抜きフレイにかかってきた。
「きゃああ!」
 少女が悲鳴を上げる。
「よっ」
 素早く少女の周囲に魔法陣を発動させ、半円の防護壁を張る。半透明なそれは、彼女のまわりをふわりとつつみ、彼女にまで及びそうだった剣をその手前で受け止める。
 その隙にフレイは少女から離れると、腰の長剣を抜き飛び掛かってきた騎士たちを跳ね除けた。
 鮮やかな身のこなしで長剣を構えなおし、不敵に笑う。
「怪我したい奴はかかってきな! 逆にひっつかまえてロキのとこまで案内させてやるよ!」
 青年の羽織ったマントと長く紅い髪が、風に翻る。
 活き活きとしたその啖呵に実践不足の騎士たちが思わず後ずさる。
 周囲の空気が完全に彼の支配下に置かれたのが、アレンにはわかった。
「おお」
 アレンは巻き込まれない様に、俄に騒々しさを増した中庭から撤退し、官舎入口の石段まで逃げる。ここなら中庭全体が見渡せ、比較的安全だ。
「すごいな、圧倒的だ」
 勇気をだして挑みかかった騎士たちが、いとも容易く紅い髪の青年にいなされ、地面に転がっていく。フレイの動作は水が流れるようで、美しい。
「やっぱお兄さん、剣も綺麗だなあ」
「むしろ剣つかうのが本職だろ。あいつも騎士なんだから」
 誰へともない呟きに答えた声に振り向けば、フレイが探している当の本人が官舎から歩み出てくる所だった。
「調査でそんな情報はあったんだけど、この目で見たわけではないからね。」
 視線の先では、月明かりの下の乱闘が行われている。ロキの話によると、フレイという青年は元々この歴史古き騎士団の一員だったという。剣技に長け、その代り術の類は苦手。
(どこがだろう)
 目下、鮮やかな剣さばきで数人の男の剣を弾き飛ばし、溜め動作もなく背後に迫った敵に向けて光弾をたたき込んでいる。命を奪う程の威力はなさそうな所を見ると、手加減をしているようだが、それでも肋骨の二三本は折れているだろう。
 どういう人生を送れば、剣技にも魔術にも長けた人間が出来上がるのか判らないが、目の前で乱闘を繰り広げている男は、活き活きと自分に襲い掛かる存在を一人、また一人と減らしていた。
 全滅するのも時間の問題のようだ。
 そんな様子を柱に寄り掛かったまま眺めていたロキが、何がおかしかったのか、小さく鼻で笑う。
「ふぬけ揃いになったもんだなぁ。昔とは大違いだ」
「騎士団? 君たちの時代の様に、戦闘が多いわけじゃないからね」
「ただ、……アイツは色々身に着けたみたいだな。まだ本調子じゃないみてぇだが」
 喜色滲む声でそう言い、ロキは柱から体を離すと、徐に空間から一振りの剣を取り出す。まるで突然その手の中に現れたそれは、流麗な装飾のされた白銀の長剣だ。優美でありながら、軟弱な印象がないのは、その剣を握る自信家の男にしっくりと合っているからだろうか。
 空間から剣を取り出した動作で、フレイの方もこちらに気付いたらしい。
 最後の一人を切り倒し、アレンとロキの立つ官舎入口へと向き直る。もはや広場の隅で腰を抜かしている副総長など眼中にないらしい。
 月光を背負った男は邪魔になったのか羽織った皮マントを脱ぎ棄てると、口元に笑みを浮かべた。
「そっちから出てきてくれるなんて、手間が省けたな」
「そりゃあこっちのセリフだ」
 ロキが剣を無造作に降ろしたまま階段を下り、広場へと進み出る。
「良くここが判ったじゃないか。何から気づいた?」
「あの情報屋の資料からだよ。最初は良く調べたなと思ったが、お前が出てきたって事でわかった。大方お前が助言したんだろう」
「そこから、アレンをつけたのか」
 あちゃあと頭を抱えるアレンを後目に、なるほどとロキは呟く。
 それで、とロキがいう。
「俺の目的なんて判ってんだろう? おとなしく捕まってくれるのか」
 ロキの問いにフレイは「んなわけあるか」と答える。そして少しの躊躇と共にフレイはロキを見つめ口を開く。
「……止めるつもりは……ないのか」
「ないな」
「アイリディアを解放する、別の方法があるかも」
「それは、お前がずっと、気の遠くなる程ずっと探してきたんだろうが。それでも駄目だったんだろ」
 だったら、お前に封印を解かせるまでだ。
 ゆらりと持った剣を片手で構える。
 その様を見たフレイは一瞬切なげに眉を寄せ、そして意識を切り替える様に口元に笑みを浮かべる。
「じゃあ、お前を止めるしかないな」
「出来るものならやってみろ」
 不敵に笑いあい、次の瞬間地面を互いに地面を蹴る。
 研ぎ澄まされた剣が鋭い音を立て夜空を切り裂いた。

 目の前の男と今、剣を交えているのが不思議でならないとフレイは思った。
 一太刀、一太刀が酷く重い。しなやかな筋肉に覆われた男の剣の腕は、悠久の時を超えた今でも欠片も衰えていなかった。いや、衰えるどころかより研ぎ澄まされ、今この瞬間もフレイにその刃を突きたてようとしている。
 正直ロキに勝てる可能性は殆どないと考えていた。
 魔法の腕も剣の腕も男の方が上だ。
 果てしない時間の中で、フレイ自身かなり自分を苛め抜いてきたが、それでも今ここで相対する男の、研ぎ澄まされた技に押されがちだった。
 術の威力などは論外だろうとフレイは思った。
 全ての精霊に愛されているだけでなく、努力も惜しまない男の絶大な魔力に勝てる気はしない。
 勝算があるとすれば、一つはロキがフレイを殺さない事。
 アイリディアの封印を解けるのはフレイだけだ。ロキの目的がアイリディアの解放である以上、フレイを殺しに掛かる事は無い。
 そしてもう一つは、フレイが長年培ってきた封術士としての術を、彼が知らない事だ。
「っあ」
 男の剣の切っ先がフレイの頬を霞め、血が噴き出る。
 怯んだフレイの懐にロキの体が走り込む。
(このまま引き倒す気かっ)
 伸ばされた腕がフレイの上着を掴みよせようとする。その腕を寸でのところでかわし、後ろに跳び退る。そこを更に追い立てる様に踏み込んできたロキの剣を、なんとか体制を立て直して受け止める。
「やっぱ、万全じゃなさそうだなあ」
「うっせ……っ」
 剣を挟んで至近距離でにらみ合う。
 ギリギリと互いの力が拮抗する鍔迫り合いは、やはりロキの方が力が強く、徐々にフレイの方へ傾いていく。
「くっそ……馬鹿力……」
 フレイは舌打ちするとなけなしの力でその剣を払い、後ろに跳ぶと共に頬の血を掬い取り、血をもって魔法陣を発動させる。
 不死者の血だ。契約代償の前払いとしては僅かであっても効力がある。
 フレイの目の前に出現した魔法陣は、みるみるうちに複雑な文様を描きながらロキの前に広がった。
「な……」
 見上げる程巨大なそれの中央から、低いうなり声と共に黒い影が体を躍らせ、地面にその蹄で降り立つ。
 禍々しい二匹の黒山羊。
 魔物だ。それもとびっきり獰猛な。
「……フレイ、お前」
 荒々しいうなり声を上げる二匹の黒山羊は、その筋肉で覆われた体に黒い炎を纏い、獰猛な色を煌めかせる紅い瞳でロキを睨みつけた。敵として認識したようだ。
「フレイ、お前何を」
 ――――何を喰いやがった。
 ロキの言葉に、山羊の後ろでフレイが声もなく笑う。その体は今にも崩れ落ちそうで、それだけこの召喚に力を要したのだと判った。
「色々封じてきたから、わかんねえな……」
 この体に。
 恍惚ともいえる表情で自身の胸を押さえる。
「さあタングニョースト、タングリスニル。その男に痛い目みせてやりな!」
 歌うように言い放ち、囁き声で付け加える。
「そいつを止められたら、俺の血を思う存分むさぼっていいぜ」
 獣の咆哮が上がる。
 広場に倒れていた騎士たちが、悲鳴を上げて逃げまどう。
「……面白いじゃねぇかっ」
 山羊の爪が、数瞬前にロキが立っていた場所にめり込み、巨大な穴を作る。立て続けの攻撃を走りながら交わし、ロキはその手に持っていた剣を投げ捨てた。そして、声なき声で詠唱を始める。
 剣などこの魔物たちには効かない。全力で精霊に呼びかけ大気中のマナをかき集める。
 やがて猛烈な突風がロキの周囲を取り囲み、ロキの頭上に巨大な竜巻を生み出した。
 風の精霊の力を最大限借りたそれは、ロキに襲い掛かった山羊たちの動きを封じ込む。
 その隙を狙い、ロキは山羊の後ろに回り込んだ。
 フレイの顔が強張り、防護壁を張ろうとしたのかその口元が詠唱を始める。
 だが遅い。
 ロキは駆け寄りざま拾い上げた剣を、フレイの腹部にたたきつける。
「……かはっ」
 自らの腹部に突き立った剣を見つめ、ロキを見上げてフレイは小さく咳込んだ。
 あふれ出した血が、腹部から足にかけて伝い落ちていく感触。
「俺の勝ちだな、フレイ」
 意識を失い崩れ落ちた体を、ロキはそっと抱きしめた。

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